2023年4月23日、復活節第3主日 第一ペトロ1:17-25 ルカ24:25-27
主の言葉は永遠に変わることがない
聖ペトロは、イザヤの預言書40:6-9を引用します(第一ペトロ1:24,25)。
「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、/花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
この箇所で、イザヤはバビロニアの捕囚になったイスラエル人に話します。主なる神は約束の言葉を守ると覚えさせます。この世の物が弱くて、世界が変わります、しかし、主の言葉は強くて、永遠です。神様のイスラエルに対する愛が強くて永遠です。彼らの罪が赦されています。故郷のエルサレムに帰らせます。その予言を聞いて下さい、イザヤ40:3-5です。
「呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。」
神様はその約束を守って、ご自分の民を故郷に帰らせました。
聖ペトロは同じ事を私達に言います。人間の心は草のようです。古くなって枯れます。しかし、神の心、即ち神の約束の御言葉は永遠に変わる事がありません。ペトロは言います(25節)「これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。」キリストの苦しみと死のメッセージです。神の恵みと救いです。赦しと新しい生まれです。新しい生き方です。(23)「すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」
主の御言葉は永遠です。ペトロもイザヤも言います、「主の言葉は永遠に変わることがない」と。ペトロは、イエス・キリストについての神のご計画を話します。(20) 「キリストは、天地創造の前からあらかじめ知られていましたが、この終わりの時代に、あなたがたのために現れてくださいました。」
これが、私達の為に大切です。この世、この世界が変わります。人生にはアップとダオンがあります。疑いや恐れがあります。しかし、神の愛は永遠です。私達の為の救いは永遠です。神の約束の御言葉が決して変わらないので、私達の人生が変わります。
今日の福音書の日課には、イエス様は二人の弟子達と共にエルサレムからエマオという村に歩きます。その弟子は寂しくて、思いが混乱していました。イエス様は彼らに希望と確信を与えました。それが出来るのは、主の言葉は永遠に変わることがないからです。神様が約束したら、それを守ります。ルカ24:25-27を読みます。
25そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、 26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
後で、32節をよみます、
二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
これは福音の喜びです。主の救いの約束の言葉を知る喜びです。その御言葉は永遠です。
「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。」人間の肉と心と思いはそのようです。そして、人間の罪深い心は神の言葉が自分と同じだろうと思います。私達の時代には、神の言葉が枯れているでしょうか。その花の花びらが枯れて落ちたでしょうか。あるキリスト信者でさえも、十戒のいくつかの戒めを花びらのように自分の生き方から落としました。山上の説教や聖パウロや聖ペトロの言葉がきびしすぎるので、自分にとって枯れるようになります。
人間はそのものであるのに、神様は私達を見捨てません。私達は自分個人のバビロニアの捕囚の中にいましても、神様はそこから救い出します。それはイエス・キリストの福音です。私達を救う事は神のご計画であったとイエス様は弟子達に説明しました。この計画は旧約聖書に書かれていますが、説明する必要がありました。それで、心は燃えていたのです。変わる事がない神の御言葉は彼らの人生を変えました。私達の人生もかわります。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師 沖縄ルーテル教会