子供に「10月31日はどんな日ですか」と聞きますと、ほとんどの子供は「ハロウィンだ」と答えるでしょう。小さい教会学校の子供に聞きましたら、その子も多分「ハロウィンだ」と答えるでしょう。マルチン・ルターの小教理問答書を勉強した子供に聞きますと、「宗教改革記念日だ」と答えられるでしょうか。そして、それを勉強した人に「それはどの意味ですか」と聞けば、このように説明するでしょう:即ち、1517年のその日に、マルチン・ルターはウイテンブルグの城教会のドアに、「95か条」をはりました。その95か条のテーマは罪の赦しでした。特に免罪符についてでした。又、ローマ法王が免罪符を売る権威について、又、煉獄から魂を自由にさせる事についてでした。その時から、その95か条についての論争の為に、プロテスタント教会の改革が始まったのです。

改革とは、何かを新しく変える事です。何かを良くする事です。例えば、自分の家の改革でしたら、家の改築や家のリフォームです。家を現代的にするか、もっと綺麗にするためです。汚い壁紙の後ろには、きれいな壁があるかも知れません。しかし家をただリフォームし、完全に立て直す事ではありません。いつも残るのは家の土台です。もしその土台が悪ければ、新しく直した所がひびわれ、崩れるでしょう。しかし、良い土台があればリフォームの工事は新しい家と同じように良い物です。

教会の宗教改革も同じでした。土台は変わらないので同じものでした、即ちイエス・キリストです。彼こそは私達の信仰と人生の土台です。教会の土台は岩なるキリストです。マルティン・ルターはその土台を変えませんでした。イエス・キリストはローマの教会の土台でした。ただ、その上に建てた教会には治さなければならない所がありました。ですから、1517年10月31日が宗教改革の初めの日になりました。マルティン・ルターはWittenberg(ウイテンブルグ)教会の入り口にその改革の青写真を貼りました。即ち、その有名な95個条です。その95個条は罪の赦しについての文書でした。特に免罪符を売る事についてでした。その免罪符を買いましたら、自分の罪をも、又、もうすでに死んだ愛する人の罪をも赦してもらって、天国に行く前にれん獄で苦しまなくて良いそうです。マルティン・ルターが言ったのは、罪の赦しを買う事が出来るのは、イエス・キリストの尊い血だけだと言う事です。

その時からマルティン・ルターとほかの改革者達は、普通の人達皆が簡単に聖書を理解できるように聖書を教えました。ルターは自分の母国語、ドイツ語に聖書を翻訳しました。小教理問答書を書いたのは、若い人を始め、すべての人皆がキリスト教会の根本的な教えを理解するためでした。小教理問答書はキリスト教会のハンドブックやガイドブック、手引です。この小教理問答書こそはすべてのルーテル教会の信者達を、世界中どこに住んでも、結びます。どのルーテル教団や地域教会に属してもそうです。私達の人生は、罪の赦しと永遠の命を与えるイエス・キリストの十字架である硬い土台に建てられています。

経済的な表現を使いましたら、罪の赦しは、返す事が出来ない悪い借金を消してしまう事だけではありません。神様は私達に、キリストの血によるcredit(クレジット)を下さる事です。十字架上のイエス様の死が本当に私達の罪を取り去って下さったのですが、イエス様の復活の時、永遠の命と救いの約束を下さいました。赦しは一つのパケッケージのようです。その中には、信仰、悔い改め、信頼、神様の約束、命、救い、洗礼、聖餐式、聖霊の贈り物、平和、愛、など全てが含まれています。赦しの中にそれらすべてがあるのは、赦しとは、イエス・キリストの十字架でるからです。十字架には、そのすべての恵みがあります。しかし、聖書の中には、お金で赦しを買う事についての話がありません。良い人であるから赦されているという話もありません。イエス・キリストを自分の救い主として信じないで赦されるということも、書かれていません。ですから、改革者達がローマ3:28の個所が好きでした。「なぜなら、私達は、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。」人が義とされるのは、即ち人が赦されるとは、自分自身の為に自分自身で出来る事と違います。赦しは神様からの自由な、ただの、無償の贈り物です。赦しとは罪がもうない事です。地獄の恐れがもうない事です。憎しみももうないです。その代りに愛と天国の喜びと平和があります。

それが素晴らしい福音ですが、この福音を述べ伝えなければなりません。神様を信じる為に、人々が神様の事を知らなければなりません。聖霊は、人々が信じるように雷のように天からその人を打って、その人が信じるようにしません。むしろ聖霊は、福音の宣教によって私たちの心に信仰を創ります。ですから、マルティン・ルターは聖書と礼拝をヘブライ語やギリシャ語やラテン語から、彼らの母国語のドイツ語に翻訳しました。それで、人々が神様の事を理解する事が出来ました。今現在、世界中で聖書は千以上の言葉に翻訳されています。日本語だけの翻訳も幾つかもあります。これによって、人々が神様の事を学ぶ事が出来ます。即ち、神様が自分の友達であるかのように、神様のことをよく学ぶ事が出来ます。聖書の中で、神様の素晴らしい愛を見る事が出来ます。私達の罪を赦す為に十字架上で死ぬ為に、神様がご自分の御子イエス様を送る事によってその素晴らしい愛を見ます。この愛が私達の信頼と信仰を創造します。ですから、私達は聖書を読みます。特に日曜日の礼拝で聖書を読みます。そして、その聖書と神様の働きをよく理解する為に、マルティン・ルターは小教理問答書を書きました:十戒、使徒信条、主の祈り、聖餐式、ざんげ、と洗礼について説明します。私は牧師として、聖書のクラスと堅信式のクラスを教える事が出来ます。私にとっては楽しいです。聖書を学びますと、私達を愛して下さる神様の働きを見ます。自分自身にとっては、心が躍るような、興奮させられる学びです。生徒達もそうでしたら嬉しいです。

宗教改革のお祝いとは、自由をお祝いすることのようです。ローマ法王からの自由ですが、それより大切なのは、罪と悪魔からの自由です。これは、イエス・キリストによる自由です。今日の福音書の日課でイエス様が言われたように、キリストによって自由になれば、本当に自由です。それで、キリスト信者として私達が自分の人生を送る事が出来ます。そして、これからも、キリスト信者として生きる事について説教したり、学んだりします。赦された者として 他の人を赦します。言い換えますと、キリスト信者として生きる事です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師, 沖縄ルーテル教会