2023年3月5日、四旬節第2主日

                                   創世記 12: 1~4a(旧15)    ローマ 4: 1~5&13~17(新278) ヨハネ 3: 1~17(新167)

アブラハムの信仰

ローマの教会に書かれた手紙に、聖パウロは聞きます、「肉による私達の先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか」と。そして、今日、私達は聞きます、「聖霊による信仰によって私達の先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか」と。又、「私達の先祖アブラハムから、私達も何を得るでしょうか」と。その答えは、私達はアブラハムと同じものを得ます、即ち、神の義です。「義」とは、神様との関係が正しい事です。それは、私達がする事によるのではなくて、私達の罪を赦す神の恵みによるのです。聖パウロは詩篇32:1-2を引用しました、「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、/幸いである。主から罪があると見なされない人は、/幸いである」(Rom. 4:7,8)。義は救いです。ヨハネ3:16-17はこのように言います、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」

アブラハムは、カナンから北の地方のハランに住んでいました。その時、主なる神様はアブラハム(アブラム)に言われました、「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。」イエス様がペテロに言われたようです、「私について来なさい。人間をとる漁師にします。」ペテロとその仲間の漁師は網を跡に捨てましたが、アブラムは、カナンで新しい生活をする為に全部の持ち物を持って行きました。新しい人生、新しい国を造ります。この偉大なる国とは、イスラエルの国になります。神様はアブラハムに約束しました。即ち、アブラハムを祝福する事と、アブラハムが全世界を祝福する事です。又、主は言われました、「私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創世記12:2-3)。けっきょく、この祝福とは、アブラハムの子孫shisonであるイエス・キリストによります。

祝福でしたら、私達が何か良い物をもらうも事です。祝福とは贈り物です。私達の働きから来る賃金やサラリーではありません。勇気を持って素晴らしい業をしたから来る報いでもありません。宝くじのプライズでもありません。だれかの良い心から来る私達に下さった物です。それを「恵み」と言い、「ただの贈り物」と言います。このギフトが神様から来ると、「救い」と言い、「義」と言います。

どうしてこれが大切でしょうか?多くの理由があります。先ず、私達が罪人であるので、自分には救いを得る為の価値がないからです。次、私達が罪人であるので、救いを得る為に私達は決して十分働く事が出来ません。働くと賃金を得ます。聖パウロは書きました、(ローマ6:23)「罪が支払う報酬は死です。」恵みによる救いは、すべての栄光を神様に与えます。信仰による救いは、神様が私達を義にされたと告白します。聖パロウはこのように書きました(ローマ4:5-6)、「しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを[詩篇に]たたえています。」

アブラハムはイスラエルの国の父でした。モーセは神の律法をシナイ山からイスラエルの民に与えました。この律法は、イスラエルの人々と神様との関係やその特徴を説明します。同時に、イスラエルの人々のお互いの関係と特徴を説明します。人々がこの律法を守れば、神様が彼らを祝福して下さると知りました。しかし、実は、この祝福するのは、彼らがその律法を守るからよりも、神様は彼らを愛して、律法を破る時、恵み深い赦しを与えたからです。ですから神殿での犠牲がありました。しかし、この祝福はイスラエルの為で、イスラエルではない異邦人の為ではありませんでした。

新約聖書の「新しい・新約」の事とは、救いはユダ人の為だけでなくて、これからは全世界の為である事です。ヨハネ3:16と17が言います、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」

神様はアブラハムに言われました、「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」世界を祝福する為に、先ず、神様はアブラハムをカナンの地に送りました。後で、神様は御自分の独り子イエス・キリストをカナンの地に送りました。私達の救いの為に、父なる神様に送れられました。彼を信じる全ての人の為に送られました。これこそは、クリスチャンの信仰です。即ち、十字架上に上げられた者が、私達の罪を赦して、永遠の命を下さった事を信じて、信頼して、心から受け入れられた事です。

それで、私達も、アブラハムのようになる事が出来ます。ペテロとパウロと多くの人々のように、私達も、主なる神を信頼して、人生に神に従います。

アーメン。                           マイケル・ニアフッド牧師   :沖縄ルーテル教会