福音書の日課、マタイ24:36–44  (新48)
24: 36「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。 37人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。 38洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。 39そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。 40そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 41二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 42だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。 43このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。 44だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。《

教会のカレンダーでは、今の季節が[アドベント]と呼ばれています。クリスマスのお祝いの準備のじきです。「アドベント《という言葉の意味とは、「来る事《です。即ち、私達の主イエス・キリストの来られる事です。それで、「待降節《や「降臨節《とも呼ばれています。このアドベントの時期、私達のキリスト信者には、カレンダーや時計が3つ必用です。1つ目は、AD1~33年です。2つ目は、AD2022~2023年です。3つ目は、AD∞永遠です。即ち、キリストが最初に来られた時、今来られる時、そして、世の最後にキリストの再臨です。

今日の福音書の日課には、イエス様はご自分の再臨を話しますが、現代マタイの福音書を読む私達の為です。「マタイ24:37 人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。 38 洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁(とつ)いだりしていた。 39 そして、洪水が襲(おそ)って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。《

今の時代は、ノアの時代と同じです。人が産まれ、成長して、仕事を得て、結婚して、家族を育って、食べたり飲んだり、楽しんだり悲しんだり、仲良しの時も喧嘩の時もあり、戦ったり、戦争したり、平和を作ったりします。すべての時代と同じように、ただの普通の人生を送る事です。これは神様のみ心です。マルチン・ルターの話があります。もし明日が世の最後の日だと分かれば、何をするかと聞かれた時、「リンゴの木を椊える《と答えました。実を結ぶには、数年がかかりますが、農家や庭園の仕事はその事ですので、種や木を椊えます。大工さんは、同じ事を分かっても、新しい家の土台のコンクリートを敷きます。学生は勉強し続けます。イエス様の表現を借りて、畑の働きを続け臼を引き続けます。

今の時代の多くの人々は、ノアの時代と同じです。大きい洪水が起こる事を知らないか、信じなかったのです。現代の人々は、キリストが再び来られる事を知らないか、信じません。それで、悪を行う人はノアの箱船の中に入ろうと思いませんでした。雨が振り始めて、洪水が上がり始めて、ノアがちょっと長くドアを開いておいても、入ろうと思いませんでした。現代の上信者や罪人も、救いの箱舟に入ろうと思いません。教会のドアを広く開けておいても、入ろうと思いません。

クルーズの船やフェリーや電車や飛行機に乗る為に、切符が必用です。乗る前に切符を買わなければなりません。船のきてきがなっても、プラットホムのベルがなっても、最後の乗るの呼びかけが呼ばれたら、切符売り場に走って買いに行くのはもう遅いです。普通の公の交通の為に、時間表があります。しかし、ひどい天災の時、地震や洪水の時、緊急の救助の時、時間が決まっていないので、目を覚まして、準備をしなければなりません。イエス様はこのように言われました、「42 だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。 43 このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。 44 だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。《

その忠告は現代の私達の為です。それで、遅くならないうちに、天国の切符を取りましょう。その切符を買う事が出来ません。ただです。私達の為に、十字架上の犠牲によって、ご自分の尊い血でイエス様はそれを買って下さいました。その切符は、イエス・キリストを信じる信仰です。この信仰が知っているのは、先ず、イエス様は、来られてベツレヘムで産まれた事、彼の血が私達の罪を赦す事、イエス様が3日めに甦ったように私達も甦る事、そして、栄光を持って再臨の時、私達がキリストと合う事です。

この信仰の切符を持っている時、もうすでに救いの箱舟に載っているようです。イエス様は私達の所に来られるので、人生の嵐の時にも死ぬ時にも、安全です。私達の洗礼は、溺(おぼ)れる洪水ではありません。何故ならば、洗礼は信仰を与えます。キリストによって救われた信仰です。

それで、ノア時代の人々と同じように生活を送りましても、私達が安全です。何故ならば、救いが来るのです。何時であるか分かります。救いの箱舟に乗り込む時です。

アーメン