2024.4.28復活節第5主日

イエス様はご自分に私達をつなぎます

イエス様は言われました、「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である」イエス様は、イエス様とつながれる事について話しました。私達が農家に住まないので、ブドウの木とその枝についてよく分かりません。それで神様が電気のコンセントのようであると話しましょう。電気製品と同じように、働く為に、電気の源につなげなければならないように、私達も神様とつながっていなければなりません。自分の人生の中で実を結ぶ為に、力の源に接続されていることが必要です。又、教会の伝道は、長い延長コード線のようです。それで遠い所まで、イエス様の福音と愛を他の人に持って行く事が出来ます。それでその人も救われるためです。

世界中、国によってや電力会社によって、電気は違います。60ヘルツ。50ヘルツ、100ボルト、120ボルト、240ボルトです。プラグの形も違います。旅の時、プルぐを間違ったら、ラジオが聞かないか、災厄熱くなって燃えるかもしれません。世界中、多くの宗教があります、全部が、自分こそは、唯一の神とのつなぐものでると思います。しかし、救いの力がありません、又、地獄に直接につながれています。そして、いつも人気がある「神は愛である」宗教があります。すべての宗教はOKです。しかし、神はあいまい、力がない空想になります。皆は皆を愛します。一つの大きいな家族です。実は、聖ヨハネは、「神はです」と書きました。しかし、その愛とはイエス様の十字架です。私達を愛するものです。私達を、神様とつなぎますので、他の人を愛する力を与えます。

結局、救いのコンセントが一つしかありません。天国への道がただ一つです。救いの源がただ一つです。それはイエス様の十字架です。釘によって、イエス様が十字架につながれていました。ですから十字架には救いの力があります。イエス様が殺されました。彼の力が出ました。しかし、復活によって、彼には命の力があり、永遠の命があります。どのように私達がイエス様と接続されるでしょうか。それは、私達がイエス様を自分の救い主であると信じる時です。聖霊は私達に信じる為の力を与え、クリスチャンとして生きる為の力をも下さいます。電気製品の働きは電力から来ます。私達の良い働き、私達の他の人の為の愛は聖霊から来ます。言い換えますと、私達が良い業をするから救われるのではなく、私達が救われているので、良い業をします。

ですから、大切なのは、神様につながれる事です。よいコネは大切です。多くのものの為に大切です。例えば、私達が他の人を知りたいと思いましたら、その人の他の人との関係を聞きます。家族、仕事、友達、教会などです。聖書の旧約聖書を知りたいと思いましたら同じです。預言をキリストとつなぎます。

使徒言行録8章にはエチオピアの女王カンダケの高官は、馬車に乗って、遠い国に帰りながら、聖書を読みました。彼は神様を信じましたが、預言者イザヤの言葉を理解するのが難しいと思いました。何故ならば、正しいコネクションが見えなかったからです。それでフィリポに聞くのは、この言葉が預言者自身とつながっているのか、又別の人につながれているかと聞きました。それで、フィリポは、この聖書の箇所がどのようにイエス・キリストにつながれているかと説明しました。

  • 「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。8:33 卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」

イエス様はこの予言を成就(じょうじゅ)しました。イエス様が十字架の所に連れて来こられました。イエス様は自由に、喜んで、人を救う為に犠牲として死にました。フィリポはエチオピア人に、旧約聖書全体がどのようにイエス様と、繋がっているかを説明しました。イエス様についての福音、良い知らせを告げ知らせました。

その時、エチオピア人に分かってきたのは、神様はご自身とつなげたいと望んでおられる事です。彼はイエス様に対する信仰があり、福音を信じて、イエス様と繋がりたいと思いました。

  • 8:36 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」8:37
  • フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。8:38 そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。8:39 彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。

喜びにあふれて旅を続けました。これこそはイエス様とつながれている人生です。古い言い伝えによりますと、この人がエチオピアに最初に福音を伝えた人であると、エチオピアの教会は説明します。喜びにあふれて旅を続けました。これこそはイエス様とつながれている人生です。私たちの人生も同様です。喜びに溢れて人生を続けましょう。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会