沖縄ルーテル教会略史 (牧師・宣教師の着任・離任は、一部省略しています)

1951 ラジオ番組『ルーテル・アワー』の放送開始から間もない1951年11月、日本ルーテルアワーは『聖書通信講座』を開始。

1955 ルーテルアワー(1960年には全国25局となる)が琉球放送ラジオで開始、
無料の聖書通信講座の受け付けが開始された。  沖縄ルーテル教会のスタートとなる。
ルーテルアワーの30分番組を聞いたのがきっかけで『聖書通信講座』を受講し、その間に教会の門を叩き、礼拝にも出席、受講完了と同時に洗礼を受け、キリスト教信者となったと言うケースが多かった。

1956 東京ルーテルセンターより、柴田ジョージ師が、沖縄地区センター設置向けて、準備のため来島する。

1958 宣教師:デルマー・ジェイ・グロック師(家族5人)が着任した。
那覇市与儀の金門会館で聖書研究会がスタートした。

1960 那覇の国際通りに面した、ルーテルアワーの事務所(那覇市松尾1)で最初の礼拝を持つことができた。その後、近くの貸しホールなどを利用して、礼拝を続けた

12月25日 那覇ルーテル教会の最初の洗礼式をデルマー・ジェイ・グロック師が行う。
6名の大人と、幼児洗礼2名 計8名。教育会館貸しホールにて、

1961 ダニエル伊芸師が着任、コザ市で家庭集会等がおこなわれた。

1963 伊芸師と山内 実兄はみどり丸で久米島伝道に向かう途中、慶良間諸島の神山島付近で遭難する。伊芸師は8時間余りも漂流、無事救助されたが、山内 実兄は、翌日、遺体となって発見された。

1967 那覇市上之屋に那覇ルーテル教会(那覇市上之屋262)の敷地と平屋の礼拝堂が、アメリカの教会の資金で完成し、日本ルーテル教団議長 名尾 耕作牧師により、献堂式と、楠 牧師の按手式が挙行された。 1階平屋の礼拝堂建設には、大工の佐川朝英兄の協力が大きかった。

1968年   日本ルーテル教団は会衆主義制度の自治教会を目指して、お世話になった 米国ルーテル教会ミズーリ・シノッドから独立し、1976年には自給を達成しました。

1972 成田 滋主事(家族4人)が就任し、幼児園設立に向け活動した。  佐藤 吉勝牧師が辞任した。

1973   柴田ジョージ師(家族3人)が着任した。上之屋幼児園が開園した。その後、上之屋幼児園は閉園した。1985年頃

1988 那覇ルーテル教会は、崖地に建物があり、将来的に考え、教会を移転することを検討しました。現用の敷地と建物を売却し、その費用で、移転することになった。なかなか移転地を見つける事ができず、約2年間は、会員の家で、礼拝しました。

1991  北中城(北中城村字島袋362)に古いアパートをみつけ、新教会堂・牧師館のリフォームのための、着工式が挙行された。

1991 12月15日 沖縄ルーテル教会(名称も那覇から沖縄へ変更)新教会堂の献堂式が挙行された.
照喜名兄及び島袋兄 お二人の役員の方々の献身的な奉仕、ご努力、に大変感謝いたします。

1994  フェイスルーテル教会の会員が沖縄ルーテル教会会員となり、  英語礼拝が開始された.

1999年4月  マイケルニアフッド牧師が日本ルーテル教団より、派遣され、現在に至る。

2016.11.6     沖縄ルーテル教会納骨堂(沖縄市久保田2丁目1040-2)が完成した。