バベルからペンテコステへ (2022年6月5日)

創世記11:1ー9、使徒2章

            神様は高い天国から見下ろして、はるかに遠い所のシンアルの地の平野(へいや)で何かの建設が始められているのを見ました。それは天まで届く塔のはずでしたが、天国の神様に届くには、とっても低いでした。まるで、小さくて目えないので、神様は天から降りて、人々が造った町と塔を見に来られました。人間は大きな塔を建てようと思いましたが、悪い建設の材料を使いました。丈夫な石の変わりにくずりやすいレンガを使いまして、塔が高くなると、その重うさの為にレンガが崩れて、塔が崩れて倒るでしょう。そして、コンクリートのしっくいの代わりにアスファルトを使いました。アスファルトが物を一時的に接続(せつぞく)させる事が出来ますが、暑い中東の夏になりますと、その塔は崩(くず)れてしまうでしょう。

創世記に書かれているのは、塔の目的は、自分達が有名に成る為です。そうしますと、皆が一つの民になります。言いました、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と。

人間のプライドと野心が危ないと神様は思いました。それで、お互いの言葉が聞き分けられないように、神様は彼らの言葉を混乱(こんらん)させました。このようにして、人々はその塔と町の建設をやめてしまい、全地に散(ち)らされました。言葉の混乱は呪いのようですが、同時に、人間のプライドと罪を防(ふせ)ぐ為の祝福にもなりました。

しかし、人々が全地に散らされて行くと同時に、罪も、全地に散らされました。プライドの罪も全地に散らされました。人々は自分の国、自分の人種(じんしゅ)、自分の文化、自分の国語にプライドを持ちました。

そして、イエス・キリストが来られました。ヨハネ3:16の福音の良い知らせはこれです、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」「神は世を愛された」と。それで、神様は再びこの世に降りて来られました。神様の愛はバベルの呪いを逆にして、この世を一つにします。この愛で、世界中で使う新しい言葉を作る事をしないで、神様はすべての人々に自分達の言葉で話す事です。これは使徒言行録2章のメッセージです。

バベルの塔の代わりになった塔とは、十字架の塔です。それが上に上げられた物です。十字架の塔が天国に届く訳ではなく、むしろ十字架は、天国がこの世に届く場所です。十字架上で、全能の神様であるイエス・キリストは、地上に降りて来られました。ご自分の上に世の罪を取って、その罪を赦す為に死ぬ事によって、イエス様は、バベルの塔が出来なかった事をしました、即ち、洗礼によって信者達にご自分の名前を与え、ご自分から散らされないように、永遠の命を下さいました。

この世が、まだ、多くの国語や文化やプライドや恐れや偽りによって散らされています。私達、一人一人の人生にこの影響があります。プライドは、即ち、他の人のプライドも自分のプライドも、私達の人生に影響を与えます。それで、自分と違う他の人を恐れますので、いじめと差別と憎しみと暴力があります。自分を守る為に、又、他の人を入れないように、自分の壁や塔を建てます。しかし、神様は私達の壁と塔を破壊(はかい)します。何故ならば、悪い建材で作られているからです、即ち、自己中心的な愛、プライドと罪によって建てられているからです。

塔は落ち、教会の塔も落ちるでしょう。しかし、キリストの十字架は永遠に立ちます。十字架は天国に届き、私達を天国に送る塔です。

ペンテコステには、聖霊はすべての国々の人々を集めて、イエス・キリストの福音を宣べ伝えます。今日の礼拝と祈りの中でそれをおぼえます。福音が自分が理解する国語で話されている事を主に感謝します。

アーメン。

            どうか、主の恵みと平和がありますように。アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師  沖縄ルーテル教会