2023.11.12      主よ、暗闇の中の私に、信仰の油をください

福音書  マタイ 25: 1~13 (新49)  “十人のおとめ”のたとえ

1「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。 2そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。 3愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。 4賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。 5ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 6真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。 7そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。 8愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』 9賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』 10愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。 11その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。 12しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。 13だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

         イエス様は言われました。この地上に戻って私達を天国に連れて行くと。しかし、それがいつになるか、ご自分自身でさえも知りませんでした。言われました、マタイ24:36、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。」だれも知らない時、突然に来られます。まるで、十人のおとめが結婚式の披露宴に入る為に待つことのようです。いつ花婿が来るか分かりません。イエス様はこの例え話のポイントを教えます、マタイ25:13,「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

         その十人のおとめとは、結婚式に招かれたキリスト信者です。 結婚式は、天国での永遠の命です。花婿とは、イエス・キリストで、花嫁とは教会です(第2コリント11:2)。披露宴に入ることは、天国に入ることです。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がしたのです。それは、世の最後の日の天使のラッパです。マタイ24:31、「人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使達は、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」と。

          おとめ達のランプは、信者達の心か魂か思いでしょう。そのともし火biの光は、信仰のしるしでしょう、天国の祭りに行ける招待があるしるしでしょう。それは、洗礼や生活ぶりや信仰告白や祈りでしょう。その油は、聖霊であり、信仰であり、聖書のみ言葉であり、祈りであり、イエス様が戻って来る約束を信頼することでしょう。その油は、クリスチャンの信仰と人生に力を与えます。

          「そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった」のです。しかし、皆は「花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった」のです。最初のキリスト信者達、イエス様の弟子達と他の信者達は皆、自分達が生きている内にイエス様が地上に戻ると期待しました。イエス様がすぐ戻らなかったので、ある信者達は、イエス様を信じることを諦めました。決して戻らないと疑いました。信仰の油が少なくなったのです。教会である結婚式場のドーアで、もう待ちませんでした。諦めて家に帰ってしまいました。今、私達や教会全体がもう二千年に、花婿であるキリストの到着を待っていました。

賢いクリスチャンのランプには油があります。この油の源とは、 礼拝や賛美歌や祈りや聖書や信者達の仲間や聖霊です。神の約束を信じて信頼することです。天使はラッパを吹いて、「花婿だ。迎えに出なさい」と呼びかける時、賢い者が結婚式の披露宴に入ります。

         しかし、私達「皆眠気がさして眠り込んでしまった」のです。信仰と信頼の油がもうありません。人生の問題、恐れと危険、誘惑と罪、うそとだまし、待つ事と失望、疑い、イエス様が実際にまだ戻って来なかった事があるので、信仰の炎を消そうとします。自分自身がその賢い者ではなくて、その愚かな者の仲間であると心配します。ドーアがもう閉まっています。私達も叫びます、「『御主人様、御主人様、開けてください』と言います。 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答え」ます。それで、永遠の暗闇です。

          暗闇の中にいると、どうしましょうか。しかし、私達は、完全に愚かなのではありません。賢い乙女達が言う通りにします。「店に行って、自分の分を買って来なさい。」その店はどこに有るでしょうか。その商人はだれでしょうか。イエス・キリストの福音を教える者です。罪の赦し、眠気の赦し、疑いの赦しを話して下さいます。牧師や教師や信者の仲間は、信仰と信頼の油を下さいますので、私達のともし火を明るく灯します。

          しかし、ドーアが閉まっています。その時、周りを見ると、私達が独りではありません。もう一人が来られました。花婿であるイエス・キリストです。彼は世の光です。クリスマスの物語によりますと、イエス様は、私達の暗い世界に来られました。ヨハネによる福音書はこのように言います、ヨハネ1:9、「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」イエス様が私達と共にいる時、私達の人生は暗くありません。希望があり、信仰があり、キリストの約束を信じます。

          私達は結婚式場のドーアの前に立ちます。イエス様が私達と共にいます。私達と共に叫びます、「御主人様、御主人様、開けてください。」主は外をのぞきますと、花婿を見ます。今度言われます、「はっきり言っておく。わたしはあなたを知ります。どうか、お入り下さい。そしてあなたの友達も入ってください。」

          私達皆が賢い者ではありません。僕のような、大きい愚かな者もいます。花婿が遅れていますので、「眠気がさして眠り込んでしまった」のです。イエス様は言われました、「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」待ちながら、キリスト信者として人生を送ります。マルチン・ルターが勧めたように、リンゴの木を植えます。それで、学校で勉強します。自分の将来を計画します。老後の為にお金を貯金します。この世界がより良くなるように祈ります。「御国をきたらせたまえ」と祈ります。それは、賢いクリスチャンの生き方です。

         アーメン。                      

             マイケル・ニアフッド牧師             沖縄ルーテル教会