マタイ16:21–28、ローマ人への手紙12:9-21

イエス様の邪魔にならないで、引き下がって、イエス様についていきましょう

           イエス様は弟子達に聞きました、マタイ16:15「あなたがたは私を何者だと言うのか。」その時、 ペトロはその偉大なる信仰告白を言いました、16:16「あなたはメシア、生ける神の子です」と。私達も同じ信仰告白します。しかし、ペトロは、その時代の多くの人が思ったと同じように思いました、即ち、メシア・キリスト、ダビデの子は新しいイスラエルの王になって、平和と国の独立と富の時代にすると。似ている考え方で現代のあるキリスト信者は、世の終わりの時、又千年王国の時、イエス様は地上で千年間でご自分の王国を作ると考えます。


しかし、イエス様はペトロを叱りました。ペトロは、イエス様が救いのご計画を果たさないようにしようと思いました。イエス様はその救いのご計画を教えました。16:21「21このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」ペトロは、それが救いの方法ではなくて、馬鹿な自殺だったとかんがえたでしょう。復活が不可能と思って、死んでしまったメシヤはイスラエルの王になる事が出来ません。私達は、イエス様のご計画に付いてどう思うでしょうか。何ども聞いた事がありますし、イースターを知ります。しかし、国を立てる為に、普通のやり方ではありません。私はそれより良い方法を知りません。普通に、暴力の革命やクーデターを認めません。でも、十字架上で死ぬ事は、恥ずかしい死に方だと思います。キリスト信者は、イエス様の恥ずかしい死に方を語る時、自分がキリスト信者である事で恥を感じる時があるでしょうか。


ペトロはイエス様を守りたいと思います。イエス様が苦しんで死ぬ事がないようにしようと思いました。十字架とその苦しみと恥が、救いの働きの為に、キリスト・生ける神の子にふさわしくないと思いました。その時、ペトロは別のプランを勧めませんでしたが、私達がします。しかし、それをする時、私達はサタンのようになります。即ち、十字架の道の代わりに別のものを進める時です。例えば:平和、愛、成功、癒やし,霊、社会運動、道徳などです。そのものは、キリスト信者がする事ですが、イエス・キリストの福音ではありません。しかし、サタンはそれを利用する事が出来ます。良いものを悪に使って人々を裏切ります。サタンは、ペトロや私達が、サタンに引き下がって、地獄までにかれに従う事がほしいと思います。ペトロは、イエス様を十字架から守りたいと思いましたが、実は自分自身の命を守りたいと思いました。と言うのは、イエス様の弟子であるので、自分の命も危ないからです。自分自身の命を守りたいと思いました。しかし、イエス様の警告を聞いて下さい。16:25「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。 26人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」イエス様なしに自分の人生を救いたいと思いましたら、その時サタンに従って、死と地獄に導かれます。


イエス様はペトロに言われました:「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」私達にも同じ事を言われます。警告です。自分が「サタン」と呼ばれたら、ショックです。しかし、私達の罪深い目と頭と心を開く為に、時々ショックが必要です。イエス様は「引き下がれ」と言われ、私達はイエス様の後ろに下がって従わなければなりません。そして、イエス様は、弟子の真の道に従うように素晴らしい招きを下さいました。ペトロに始め、すべての弟子達と私達にも、このように言われました:16:24「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。 25自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを得る。」ペトロは、イエス様を十字架から救う事によってイエス様の命を救おうと思いましたが、実は、その十字架によって、イエス様は、自分の十字架を背負ってペトロと私達の命を救います。


もしペトロが自分の時代の多くのユダヤ人のようでしたら、メシア・キリストがイスラエルの中で地上の王国を立てて、栄光と幸せな時代にするようにと希望しました。もしかしたら、ペトロは、26「全世界を手に入れたい」のようにと思ったでしょう。多くの現代のクリスチャンは、同じように、栄光と幸せと成功的な教会を望むでしょう。しかし、イエス様によりますと、その御国は将来の事です。未来にイエス様は来られます。裁きの日であり、救いの日です。16:27 「人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。 28はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。


その時までに、私達がイエス様に従っています。自分を捨て、信仰や洗礼によって、イエス様の為に・イエス様と共に、自分の命を捨てたので、それを得ました。では、イエス・キリストに従う人の人生や生活ぶりは、どのようなものでしょうか。即ち、クリスチャンとして、どのように人生を送るべきでしょうか。他のキリストに従った人の答えを読みたいと思います。その人は使徒パウロです。今日の使徒書です。ローマ人への手紙12:9-21。

9愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、 10兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。 11怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。 12希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。 13聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。

14あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。 15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。 16互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。 17だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。 18できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。 19愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 20「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 21悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

これこそは、引き下がって、イエス様の後ろについて行く人の人生です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師、沖縄ルーテル教会