ヨハネの福音書21:1–19, 特に、ヨハネ21:15-19
復活の福音とペテロ
今は復活節です。私達の主の復活を祝い続けます。私達の罪を赦す為に、キリストが十字架上で死にました。それで、彼の復活によって、神様との平和と和解があります。それで、神様との良い関係があります。その良い関係は、「義」と言います。ローマ4:25は、それをこのように表現します、「イエスは、私達の罪のために死に渡され、私達が義とされるために復活させられたのです」と。今日、この復活の福音を活かしましょう。復活の福音を利用しましょう。まず、どのように復活の福音がイエス様とペテロを和解させたのを見て、そして、どのように私達も神様と和解させられて、そしてどのように私達が他の人と和解を得る事が出来るかを見ましょう。
逮捕された前に、イエス様はこの予言を言われました。
マルコ14:27 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』/と書いてあるからだ。28 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」29 するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。30 イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」31 ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。
それから、イエス様がユダヤ人の裁判で裁かれていた時、ペトロは3回イエス様との関係を否定しました。3回目に人が言いました、「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」「マタイ26:74 そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。75 ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」
参考。
マタイ26:69 ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。
26:70 ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。
26:71 ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。26:72 そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。
26:73 しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」26:74 そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。26:75 ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。
それで、ペテロは、イエス様の仲間、イエス様との関係を否定しました。イエス様を見捨てました。しかし、復活の福音とは、イエス様がペテロとの関係を見捨てなかった事です。ティベリアス湖畔で夜が明けたころ、2人の関係を和解するチャンスをイエス様がペテロに与えました。3つに3つを。それは、ペトロに完全な赦しとなります。ペトロの完全な忠実さを表します。又、以前、ペトロが弱虫でしても、これから忠実になると信頼されています。イエス様は、ペトロに仕事を与えます。その仕事とは、イエス様の働きを続ける事です。即ち、イエス様の羊と子羊の世話し続ける事です。ペトロに仕事があります。それは、人を愛する事、罪を赦す事、福音のメッセージによって導く事です。3年前に、ペトロと他の弟子達を呼ぶ時、「私に従いなさい」と言われました。イエス様はその呼びかけを再び言われます。それで、ペトロが知っているのは、イエス様が自分を愛する事ですし、自分が大切な子羊のように、イエス様がペトロを大事にして、その世話をする事です。
参考。
ヨハネ21:15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。 16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。 17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。 18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
第2部
この話の中で、イエス様がペトロを愛する事を見ます。又、イエス様が私達をも愛する事を見ます。私達は3回以上、何回も、イエス様の仲間である事、イエス様との関係を否定しました。キリスト信者であると恥ずかしいと思う時です。不便だと思う時です。又、山上の説教のイエス様の教えに従わないで、誘惑に落ちて罪を犯す時です。どの理由でしても、自分の罪が分かる時、自分がペトロのようだと感じます。鶏が鳴く時のように、自分の不忠実さを分かって後悔します。ペトロは「外に出て、激しく泣いた」のですが、私達は教会に来ます。ひざまずいて、罪を告白します。ペトロは、信仰を3回告白しました。礼拝の時、式文や讃美歌や祈りの中で、自分の信仰を告白します。私個人ですが、牧師先生の赦しの言葉を聞く時嬉しいです。「ひとりのみ子イエス・キリストを死に渡し、すべての罪をゆるされたあわれみ深い神が、罪を悔い、み子を信じる者に、赦しと慰めを与えてくださるように。 アーメン。」言い換えますと、牧師が言うのは、「私はキリストから与えられた権利と命令によって、あなたの罪を赦します」と。イエス様の羊を飼う力です。そして、ゆるされて、イエス様の尊い子羊として、ペトロと同じように、私達もイエス様に従って行きます。
第3部
イエス様に従う事は何でしょうか。ペトロがした事と同じ事をする事です。イエス様が自分の主であると分かる時、ペトロのように、自分の人生の船から飛び降りて、洗礼の水の中で、イエス様が待っている海辺まで泳ぎます。そこで、イエス様が私達の為に朝ごはんを準備して下さいます。「聖餐式」と呼びます。
私達はペトロのようにイエス様に従うのは、イエス様の小羊を飼う事とその羊の世話をする事です。即ち、キリスト信者として、良いクリスチャンのようになる事です。キリストのようになる事です。復活の福音とは、罪の赦しと神様との和解です。その羊を飼う事とは、その羊を赦す事です。3回、6回、主が自分を赦した数と同じです。主の祈りを祈る事ようようです。「われらに罪を犯すものを、われらがゆるすごとく、われらの罪をもゆるしたまえ」と。このようにして、他の人と、愛と平和を作りや回復する事が出来ます。
ヨハネによる福音書21章のイエス様とペテロの話は、奇麗な話です。活動的に実行する復活の福音です。ペトロの話も、私達の話もです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会