伝統的のアドベントの聖書日課は、まずしゅろの日曜日でロバに乗ってエルサレムに入場したイエス様です。これは大切と思います。何故ならば、エルサレムで死んで復活する為にイエス様がクリスマスの時でベツレヘムに生まれたからです。多くの楽しい祝いと礼拝とクリスマスの歌とクリスマスの讃美歌等々があるので、この季節の本当の意味を忘れやすいです。イエス様が生まれた理由とは、私達の罪を赦すために死んで、私達に永遠の命を与える為に蘇ることです。クリスマスの天使[ガブリエル]は、はっきりとマリヤにもヨセフにも羊飼い達にも告げます。

マタイ1:20-21。20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

ルカ1:29-33。  29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

ルカ2:8-12。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

       “イエス”という名は “救い主”と意味します。即ち、民を罪から救うからです。それが、クリスマスの中心のメッセージです。これがキリスト教の中心のメッセージです。ですから、棕櫚の日曜日の話で待降節(アドベント)を始めます。イエス様はエルサレムに行きます。そこで、裁かれて、十字架上で死ぬように処刑されます。十字架上で、世の罪を取り除く神の子羊になります。3日目に復活します。私達の罪が赦されました。その時、クリスマスの天使の歌が成就されます。「地には平和、み心に適う(かなう)人にあれ。」

       クリスマスの祝いは素晴らしくて、14週間ほど祝いします。アドベントの第一主日から聖灰水曜日の間です。今度は来年の3月5日です。多くの方法でクリスマスの為に準備します:飾り付け、買い物、礼拝などなど。一番大切に準備するのは、私達の心です。この準備の部分で、自分で出来るのは、信仰を持つ事です。家を掃除する事が出来ますが、心の掃除をする事が出来ません。手を洗う事が出来ますが、心を洗う事が出来ません。実は、私達の信仰も、自分の心をきれいにする事が出来ません。それが出来るのは神様の赦しだけです。信仰は何もしません。信仰はすべてを神様にしてもらいます。神様が働く事が出来る為に、信仰は邪魔しません。

       イエス様がエルサレムにロバに乗って入った時、人々はイエス様を歓迎しました。イエス様がメシアであると信じました。救い主として歓迎しました。「 ルカ19:36 イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。」

  「 19:37 イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。38 「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」」

       これはアドベントの信仰です。この信仰を信じるのは、私達の救い主になる為に、キリストはご自分を低くしました。ロバに乗る事は、本当のけんそんを表します。

       多くのクリスマスの絵や劇の中で、母マリアはロバに乗ります。マリアとヨセフはベツレヘムに向かって旅をします。あそこでイエス様が生まれます。後で、エジプトに逃げる時にも、マリアは赤ちゃんイエス様を腕の中で抱いて、ロバに乗ります。聖書のクリスマスの物語の中にロバは出てきません。クリスチャンの絵を書く人やクリスチャンの劇を作る人は、マリアを大事にします。ナザレの町から遠くの町ベツレヘムまでは、100キロメータ以上です。妊娠している女の人がそこまで歩くのは大変でしょう。その上、画を描く人はいつも、私達の主の母マリアに特別の尊敬を表します。それで、ダビデ王の町ベツレヘムまで、マリアによって、イエス様もそのロバに乗ります。クリスマスの喜びの中で、ベツレヘムへ旅する聖家族の絵は、実は淋しいと思います。

       イエス様はもう一頭のロバに乗りました。それは、エルサレムに入場した時のしゅろの日曜日でした。今度は生まれる為ではなくて、死ぬ為に行かれました。聖金曜日に十字架につけられました。『ホサナ』と言う叫びは『十字架につけよ』と言う叫びになりました。しゅろの日曜日に、クリスマスのひびきがあります。天使の軍勢(ぐんぜい)のコーラスは群衆(ぐんしゅう)の喜びの叫びになります。

ルカ2:13-14『2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」』

ルカ19:37-38『37イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。38「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」』

両方の時は平和と栄光について歌います。イエス様がベツレヘムで生まれる理由とは、エルサレムで死ぬ為です。本当の平和と栄光をもたらす為に生まれ、死にました。このしゅろの日曜日の福音書の日課は、アドベントの第一の主日の為にふさわしいです。クリスマスは、赤ちゃんとプレゼントとサンタさんだけではありません。クリスマスは私達の罪からの救いについて語ります。

       それで、自分の信仰の上着を敷いて、主を迎えましょう。

       ホサナ!アーメン!

マイケル・ニアフッド、牧師

沖縄ルーテル教会