2022年5月15日、復活節5C
すべては清いです

第1朗読 使徒言行録11: 1~18 (新234)
11: 1さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。 2ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、 3「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。 4そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。 5「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。 6その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。 7そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、 8わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』 9すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。 10こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。 11そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。 12すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。 13彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。 14あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』 15わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。 16そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。 17こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」 18この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。

今日の第一聖書日課は、使徒言行録11章からです。これは10章の偉大なる出来事のレポートです。

ペトロはお腹が空いていましたが、昼食の準備が出来ていませんでしたので、祈るために家の屋上に行きました。ペトロはこのように教え巻いた:“我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。 6その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。 7そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、 8わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』 9すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。 10こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。”

幻を見るのが僕でしたら、もしかしたら、大きい食卓のテーブル・クロスに、お美味しいブッフェーでしょう。すべての種類の肉の料理が並んでいます。ロストビーフ、フライドチキンに、モーセの律法に禁じられた食べ物もあります。ハーム、ベーコン、ワニのソーセージ、虎のステーキ。又、エビ、貝、カニ、イカでしょう。声が言います、“ペトロ、どうぞ、遠慮なく、すべてを食べなさい。”しかし、良いユダヤ人であるペトロは、答えました、 “主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物、禁じられた物は口にしたことがありません。”そして、天からの声がはっきりと言いました。『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』。ペトロはこの幻を3回も見ましたので、これが神様からのメッセージであると分かりました。ペトロはこの幻が何でもかんでも食べても良いと意味するとわかりました。旧約聖書の食事に対する律法が終わりましたと。それで、現代のキリスト信者である私達はハムとベーコンとエビを食べられます。

その動物を清める為に、モーセとペトロの時代の間に、何が起こったでしょうか。どうして今は清いでしょうか。それはイエス様の教えと死と復活です。イエス様の復活によって、古い契約が新しい契約になりました。神様との新しい関係です。新しい生き方です。新しい生き方は律法によって支配されていないのです。福音の愛です。体の行いよりも、心の信仰の方が大切です。この新しい生き方の理解はイエス様の言葉に説明されています。マルコ7:14-22.

7:14 それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。15 外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」
7:17 イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。18 イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。19 それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。こうして、すべての食べ物は清められる。」20 更に、次のように言われた。「人から出て来るものこそ、人を汚す。7:21 中から、つまり人間の心から、悪い思いが出て来るからである。みだらな行い、盗み、殺意、22 姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など、23 これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」

幻を見てすぐ後に、聖霊はペトロに話しました。ペトロが習ったのは、人間も汚れた物として見てはいけない事です。モーセの律法によりますと、ユダヤ人は汚れた異邦人と接触してはいけないで、彼の家に入っては行けないし、彼の食べ物も食べてはいけない事です。しかし、ペトロがその幻を見てすぐ後に、百人隊長のコルネリウス からの僕が到着しました。コルネリウスは異邦人のローマ人でしたが、主なる神様を信じました。僕は、ペトロがコルネリウスの家に来て、福音を述べ伝えるように願いました。そして、聖霊はペトロに言いました、『ためらわないで一緒に行きなさい』と。すべての動物が清いであるように、すべての人間も清いです。これは異邦人の宣教の為にとっても大切でした。彼らもキリストのよって救われます。それでペトロと6人の兄弟も一緒に行って、その異邦人の家に入ったのです。彼らは、証人になりました。聖霊はその福音の教えを祝福しました。そこに集まった人々は洗礼を受けました。

エルサレムのユダヤ人のキリスト信者たちはペトロの報告を聞きたいと彼の周りにきました。「この言葉を聞いて人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を賛美した」のです。

この使徒言行録11章より、使徒言行録の話は、異邦人の伝道に展開します。先ず、アンティオキアの町、そして聖パウロの3つの伝道旅行です。そして、そのうちに、福音がヨロッパにもアジアにも来ました。それで今、私達にも救いが与えられています。

アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師 沖縄ルーテル教会