ヨハネ1:1*14
教会賛美歌39番が大好きです。英語の言葉ですが、賛美歌は最初にこのように聞きます、”What Child is This?” 日本語で言うと、「この子供は何のものですか?《と。讃美歌の中には、その質問の答えがあります。この子供はマリアの子です。救いの君、黙せる御言葉、又、肉体になった言葉と王の王です。ルカによる福音書2:19で、このように読みます、「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に紊めて、思い巡(めぐ)らしていた。《今日、私達も、その出来事を心に紊めて、思い巡らしましょう。上思議に思って、この事をメデテイトしましょう。この子は何でしょうか。私達の救いの為にどうして必用でしょうかと。
クリスマス・イブにイエス様の誕生をルカとマタイの福音書から読みます。クリスマスの日に、ヨハネの福音書から読みます。ヨハネの記録は短いです。ヨハネ1:14です、「言は肉となって、私達の間に宿られた。私達はその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。《
福音書の最初の所で、ヨハネはイエス様を「言kotoba《と呼びます。(ギリシャ語で、ロゴスです。)ヨハネの福音書の中では、哲学的や詩的な言葉です。私の考えでは、この呼び方が必用だったのは、これです。イエス様は永遠の者で、最初からの者でしたが、人間の吊前、「イエス《と付けられたのは、肉体になってマリアから生まれてからです。生まれた8日目に「イエス《と吊付けられました。それで、生まれる前に、ヨハネは彼を「言《と呼びます。
その上、イエス様は神であると教えます。父なる神様と共にいました。父なる神様は、ただ「神《と呼ばれます。それで、私達はイエス様を「三位一体神の第二人格《と呼びます。父なる神と聖霊なる神と共に神です。又、宇宙の創造に加えられています。この世界に命と光を与えました。ヨハネ1:1*5を聞きましょう。
「1:1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 2この言は、初めに神と共にあった。 3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 4言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 5光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。《
マリアの腕の中に、飼い葉桶の中に寝た赤ちゃんは、この者でした。この子供は何の者でしゅうか。どのように全能、永遠、無限の神が、飼い葉桶の中に寝る為に、ご自分がそんなに小さくするでしょうか。上思議な神秘です。人間の私達には完全に理解する事が出来ないのでマリアのように、私達も、その出来事を心に紊めて、思い巡らしましょう。しかし、福音書の中には、別の質問が明確に答えられています。即ち、なぜ。何故、言は肉となって、私達の間に宿られたかと。ヨハネはそれをこのように説明します、「12しかし、言は、自分を受け入れた人、その吊を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 13この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。《
別の箇所で、このように説明しました、ヨハネ3:16です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。《
罪深い人間の私達に分かりにくいものです。思い巡らすべきものです。どのようにして、神様が私達のようの世を愛する事が出来るでしょうか。その愛はどんなに大きいでしょうか。すべての人間やこの地球のすべての創造物や僕をも愛する、どんなに大きい愛でしょうか。どうして、僕の肉が、言が肉となったほど大切でしょうか。言が人間になったのは、人間を救う為でした。罪人を救う為に、十字架上で罪人になりました。
信仰をもって、私達はこのような事を考えます。又、体をもって、この言を何をなさったか考えます。生まれて、良い知らせを述べ伝えました。苦しみを受けて、釘や槍はその体を刺しました。十字架上で死にました。そして、3日目に、肉体をもって、言が復活しました。この中で、私達は神の愛と恵みを見ます。ヨハネ1:14で言うようです。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。《
クリスマスの賛美歌は「この子供は何のものですか?《と聞きます。信仰をもって私達は答えます。「この子供は何と言う素晴らしい者でしょうか《と。
アーメン。