宗教改革説教 シリーズ#3、神の二つの王国
- 目的: 神の両方の王国に生きる事
- 問題: 律法と福音を混ぜるので、その国の境界線が乱れる事
- 福音: 私達が一つに入る事が出来るように、イエス様はその他方の中で働いた事
今月、毎週、ルーテル教会の教えの幾つかのテーマについて説教します。今日のテーマとは「神の二つの王国]です。即ち、「教会の王国]と「世界の王国]です。イエス様はピラトに「私の国はこの世に属してはいない」と言われました、ヨハネ18:36。今日の福音書で、イエス様は、ファラサイ派の人々に言われました、「皇帝の物は皇帝に、神の物は神に返しなさい」と、マタイ22:21。又、律法の中には、一番大切な戒めが2つあります。即ち、あなたの神を愛する事とあなたの隣人を愛する事です、マタイ22:37-40。
私達が住む国の今の時代には、宗教の自由があり、教会と国が完全に別れています。しかし、マルティン・ルターの時代には、分離していませんでした。ローマの教会はフランスの王もドイツの皇帝をも支配したいと思いました。又、教会が誰かを異端者として宣告したら、国がその人を死刑にするように頼みました。宗教改革の後に、国や教会が一軒だけの町が、自由に自分の教会の宗派を選ぶ事が出来ましたが、そこに住む人には宗教の自由がありませんでした。ルーテル教会の二つの国についての教えが違います。ずっと何年も前に、アウグスチンは「神の町」と「世の町」について話しましたが、ちょっと違います。カルビンは「二つの国」と言う言葉を使いましたが、違う意味を与えました。現代の言われている福音派の教会の考え方も違います。
ルターは神の2つの支配圏について、神の右の手と神の左の手について言いました。右の手とは教会の中での神様の働きで、左の手とは世の中での神の働きです。教会の王国と世の王国です。教会の王国は純粋な福音です。この国民とは救い主としてイエス様を信じる人です。これは言われている「目で見えない教会」です。私達は他の人の心の中を見る事が出来ないからです。そして、「目で見える教会」とは、教会の建物、教会の目で見える活動、また会員名簿です。その名簿には、偽善者や不信者もいます。「目で見える教会」は世の王国の一部です。説明します。世の国が含むのは、自然を始め、宇宙、動物、人、社会、ほかのすべてです。この世は法律によって支配されています:自然の引力法から社会の規定までです。形がある教会も規定や教会の役員会や教団によって支配されていますので、地域教会も世の王国の一部です。
それで、私達クリスチャンがこの二つの国の両方の中にいます。二つの国の中で働きます。主の祈りではこの二つの為に祈ります。「御国が来ますように」とは、神様が私達に聖霊を送るように祈ります。それで、神の御言葉を信じて、神の永遠の国に生きるのです。「日々の糧を今日も下さい」とは、神様が私達をも世のすべての人々をも祝福するように祈ります。すべての人々が必要とするのは、パン、食べ物、着物、家、家庭、お金、品物、動物、けいけんな家族、良い政府、良い天気、良い友人、等です。神様が左の手の国であるこの世を祝福するようにと言う祈りです。私達は隣人を愛するので、このように祈ります。
どうしてこの二つの国の考えが大切でしょうか。自分に何の関係があるでしょうか。
私達クリスチャンは、どのように生きるでしょうか。この世は悪で満ち、忙しいので、この世から出たら良いでしょうか。それをする為に、昔から人は修道院に入り、又は仙人sennin (hermit)として山に行ったり、荒れ野の洞穴horaanaに入ったり、又は新しいカルトを作り一緒に住む事もあります。又は、多くの巡礼者を集めて、新しいクリスチャン社会を作る為にだれも住まない新しい場所に移民します。又、多くのストレスがある時、祈りとメデテイションが良いので、静かな教会に行って祈る事が役に立ちます。このようにしてこの世の王国から逃げる事が出来ます。
他方では、この世は悪でみち、忙しいので、この社会とこの世を変える為に、教会が働ければどうでしょうか。多くの教会はいろいろの問題に対する反対を言います:道徳、政治、経済、環境、社会などの問題があります。預言者のように立ちます。
しかし、それをするには、教会には権利があるでしょうか。イエス様は弟子達にどの権利を下さったでしょうか。復活した主は、弟子達に息をかけて、罪を赦す為に聖霊を下さいました。昇天の時、イエス様は弟子達に偉大なる宣教命令を与えました。悔い改めを述べ伝えますが、罪人を裁いて罰する権利がありません。教会に与えられている権利とは、罪を赦す権利だけです。
しかし、私達クリスチャンはこの世の王国のメンバーです。それで、神様の働きをして、社会の中で、平和と正義と安全があるように働きます。私の個人的な意見ですが、地域教会の中で、一つの社会的なプロジェクトの為に、グルップを作れば良いでしょう。クリスチャンの愛と道徳があるので、効果的に一緒に働く事が出来るでしょう。もしかしたら、それは与えられたクリスチャンの義務や召命shoumeiでしょうか。
一人のクリスチャン信者が、2つの王国にいる事が出来るでしょうか。この質問に対して、マルティン・ルターは一つの記事を書きました、「クリスチャンが兵隊になる事が出来るか」と。ルターの答えとは、「はい、出来ます。そして、出来るだけ真面目な良い兵隊になりなさい」と。私は神学的な「ルーテル・フォラム」と言う雑誌を読みます。「クリスチャンが警察官になる事が出来るか」と言う記事がありました。それを書いた人の答えとは、「はい、出来ます。そして、出来るだけ真面目な、親切な心をもって良い警察官になりなさい」と。「隣人を愛しなさい」と言う事を覚えて、隣人の守りと安全の為に働く事です。実は、他の人の益の為に働くすべての職業は同じです。家族や友達や世界中の隣人の為にです。この世の中で、神様の働きをする為に、神様は私達に物を下さいます。それは、今日の福音書の教えの一つです。「皇帝の物は皇帝に、神の物は神に返しなさい」と、マタイ22:21。今日の旧約聖書のイザヤ45:1は言うのは、ペルシャのキュロス王でしても、神の民を助ける為に、神様の働きが出来る事です。
ルーテル教会の信者で、私達は福音の自由を祝いますと、時々世俗的すぎるように見えるかも知れません。恵みのみと信仰のみがあるので、何でもかんでも出来る許可があると感じるかも知れません。かえって、神の広い王国の中で働く力と許可を与えます。一つの王国の中で、キリストは私達の罪を赦して、永遠の命と救いを下さいました。そのもう一つの王国で、神の仕事をする為に、キリストが私達と共にいます。ですから、礼拝の最後にこの挨拶で交わします。
「平和を持って行きましょう。主に仕えましょう。
神に感謝。」
アーメン。
マイケル・ニフッド牧師
沖縄ルーテル教会