福音書 ヨハネ 14: 1~14(新196)
1「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 2わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 3行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 4わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
5トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 6イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 7あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」
8フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、 9イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。 10わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。 11わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
12はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 13わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 14わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
「キリストは道であり、真理であり、命である」
今日の福音書、ヨハネ14:1-14、で、
イエス様は言われました、「わたしは①道であり、②真理であり、③命である。
今日、この3つを、一つづつを見ましょう。先ず、「わたしは①道である。」
道を歩んで、イエス様はどこかに行きますか。このように言われました、「1心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 2わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 3行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 4わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
イエス様の行き先とは、天国です。しかし、その道は先ず、天国からベツレヘムに行かれました。その後は、ヨルダン川へ、ガりラヤへ、エルサレムへ、ゴルゴダへ、お墓へ、昇天のおリブ山でした。その旅は全部が必要でした。それは、私達に用意された天国の父なる神様の家に行く為でした。
イエス様は、ご自分こそがその唯一、ただ一つの道であると言われました。弟子トマスに言われました、「私を通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」言い換えますと、天国と永遠の命への道は、イエス様以外にはありません。
イエス様は言われました、14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」私達は神様を信じる時、私達は命への真理の道を歩いています。不信仰の心は神様の道を歩こうと思いません。それは、イエス様が永遠の命への道であると信じないからです。ある人はイエス様や福音を全然知りません。それで、私達は彼らをキリストに導く必要があります。そのような道路標識が伝道や証しと呼ばれています。
一度、この道に入ったクリスチャン達の一つの問題とは、その道を続けて歩く事です。羊のように、緑の牧場や憩いの水に行く道から離れたり、迷ったりします。又、ちょっと罪の誘惑に負けて、遠まわりをして、あと戻りします。私はこの道に戻る事は、信仰の力だと思います。私達はいつも狭くて真っすぐな道を歩みません。しかし、私達はイエス様を信じるので、いつも正しい生き方に戻りたいと思います。ルーテル教会の中の神学的な表現と言いますと、“simul justus et pecator, 同時に罪人であり聖徒です。”私達はトマスとフィリポのようです。私達はイエス様の話を理解する事が出来ません。神様の律法が分かりません。神様のやり方が分かりません。神様の御計画の細かい所を知りません。しかし、自分の人生の計画を神様がいないように立てましたら、それは天国への道になりません。
ですから、イエス様は弟子達に言われました、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」その信仰は私達のコンパスと地図になります。私達の人生はイエス様と同じようになります。
イエス様は言われました、「わたしは②真理でである。
ヨハネ18章で裁判の時、イエス様とピラトとの会話がありました。
18:36イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」
37そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。 「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
38ピラトは言った。「真理とは何か。」
イエス様は真理を話しました。神の国についての本当の良い知らせを語りました。しかし、人々は彼を信じませんでした。現代の人も、彼を信じて、理解しません。彼の弟子達でさえも、イエス様が話した真理が分かりませんでした。それで、今日の福音書の日課で、イエス様とフィリピとの会話があります。
14:8フィリポが「主よ、私達に御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、9イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。10わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。11わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
真理とは、イエス様と父なる神様は、真理につながれていることです。それで、イエス様の話す言葉にも、する業にも、父なる神の言葉と業です。これこそが、キリスト教会の根本的な土台です。聖なる三位一体です。もしイエス様が神では無ければ、イエス様は永遠の命へのまことの道ではありません。もしイエス様が神で無ければ、イエス様の死と復活には、罪を赦す力がないし、永遠の命を与えません。彼の業によって、イエス様を信頼する事が強められています。イエス様がフィリポに言われたようです、「業そのものによって信じなさい。」ですから教会で福音書の話を読みます。即ち、イエス様の業を見る為です。イエス様が歩んだ道を見る為です。その愛と哀れみ深い業を見る為です。聖書の物語の中で、どのようにイエス様が人を愛したかを見ると、彼の話した福音が本当に真理であると思います。真理です。イエス様は真理です。
そして、イエス様は言われました、「わたしは③命である」と言われました。
ヨハネ11章で、イエス様とマルタとの会話があります。
11:24マルタは、「終わりの日の復活の時に[ラザロが]復活することは存じております」と言った。
25イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。26生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
27マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」
これこそが、キリスト教会の根本的な土台です。私達が死んでも、もうすでに永遠の命を持っています。何故ならば、イエス様はもうすでに私達の命です。このように説明します。英語の「ライフLife」と単語の意味は、ただ息を吸ったり心臓が動いたりする生命だけではありません。ライフは、生き方でもあります、生活です。イエス様は「私は命である」と言われましたので、私達の命は彼の命になりますので、私達の生き方が彼の生き方と同じようになります。使徒言行録の中で、教会がよく「道」と呼ばれています。信仰は、考え方だけではなくて、それよりも、イエス様と同じように人生を生きる生き方です。愛と祈りの生き方です。今日の福音書の日課の最後のイエス様の言葉のようです。
12 「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。 13わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 14わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」
イエス様はパレスチナ地方だけで働きましたが、祈りと世界伝導によって、より広い所でイエス様の働きをもっと大きくします。
イエス様は、私達に真の命の道を表して下さいました。それは、本当の命の生き方の道です。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会