疲れと不安から休みと平和へ
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第2朗読 ローマ 7:15~25a (新283)
7:15わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。 16もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。 17そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 18わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。 19わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。 20もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。 21それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。 22「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、 23わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。 24わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。 25わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。
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福音書 マタイ 11:25~30 (新20)
25そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 26そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 27すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
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イエス様は言われました、マタイ11:28-30,“28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。”
私のもとに来なさい、疲れた者、過労している者、弱い者、心配している者、困っている者…<pause>… 休ませてあげよう。
大きいルックサックが背おわされているようです。いっぱい詰めているのは、仕事、責任、義務、期待されているもの、借金などです。重いレンガのような古い後悔、失敗、罪などです。首にかけている重いくびきのようです。体が疲れている、頭も疲れている、精神的に魂も疲れています。
もう、あきらめたいと思う時がありますか。諦めないでください。主イエス様は、あなたの事をあきらめないからです。
使徒聖パウロはイエス様の事をあきらめませんでしたが、自分で、自分の罪の重荷を捨てて、乗り越える事をギブアップしようと思いました。その罪の重荷を心から悩みました。福音を延べ伝える仕事の問題と難しさに対して、決して文句を言いませんでした。イライラしたのは、自分の罪でした、即ち、誘惑から逃れる事が出来ない事です。神の律法や罪や自分の人間の肉です。逃げられません。自分の中に住むと聖パウロが言います。私達はそれを人間の根本的な性質と言えるでしょう。原罪と言えるでしょう。聖パウロはそれを捨てる事が出来ません。いつもある、抜く事が出来ない首にかかっている重いくびきのようです。
多くの人生の問題を解決する事が出来ます。自分自身や他の人の助けによってです。痛み止めの薬、コーヒー一杯、良い食事、良い忠告、休暇、お金、他の人の優しい言葉、祈りなどです。神様の助けの為に祈ります、彼が私達に答えて下さいます。その助けの方法とは、私達に完全な新しいくびきを下さる事です。自分の重荷を背負う為に新しい方法です。イエス様は言われました、
「“29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。”」 私達がこの地球の上に生きている間に、いつも人生の問題があります。しかし、私達が独りではないし、無力ではないし、心配しません。何故ならば、そのくびきとは、イエス様から与えられた物です。私達の重荷を軽くするためです。それで、あなたがたは安らぎを得られるのです。
聖パウロの重荷に戻りましょう。罪の重荷でした。人間は、自分の力で、この問題を解決kaiketsuする事が出来ません。聖パウロは書きました、「24 わたしはなんと惨mijiめな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。 25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」
イエス様は聖パウロの罪を取って、ご自分の上において下さいました。イエス様は私達の罪を取って、ご自分の上において下さいました。それを十字架の所まで持っていって下さいました。イエス様にとって十字架の軛は負いやすくありませんでした。罪の荷は軽くないからです。十字架上で死ぬ事によって、その罪が赦されました。その罪の重荷は、イエス様からも、私達からもおろされました。ですから、イエス様が言われたように、「あなたがたは安らぎを得られる」と。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会