5000人に食べ物を与える: 奇跡と哀れみ

福音書 マタイ 14:1321 (28)

1413イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。 14イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 15夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 16イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 17弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」 18イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、 19群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 20すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 21食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。

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       今日の福音書の日課で、イエス様は5千人を食べさせます。今日、2つの事を見ましょう:イエス様の奇跡とイエス様の憐みです。

      イエス様は、多くの奇跡をなさいました。水を葡萄酒に変えたり、海の上を歩いたり、嵐を鎮めたり、群衆を食べさせたり、病気の人や目が見えない人や歩けない人を癒したりしました。また悪魔を追い出したり、死者を甦らせたり、十字上で罪を赦したり、3日目に復活したりしました。イエス様が奇跡をする時、とても上手にします。葡萄酒の6本の樽、海が凪ぎになり、目が見えない人が見えるように、足が歩けない人は歩けるように、死者が生きかえりました。5千人を食べさせる時、残り物のパンの12のかごは、最初にあったパンの数よりも多いでした。しかし、一番優れている奇跡とは、世の罪が赦されたので、永遠の命が与えられていることです。

       奇跡を信じない人がいます。彼らはイエス様は海の浅い所で歩いたと言います。又言うのは、皆が自分のお弁当を隣人と分かち合ったのだと。しかし、5千人の男の人とその家族の女の人と子供達みなは一万人になるでしょうか。すべての人が食べて満腹しました。人間のけちな性格を知って、自分の大切な食べ物を分かち合う事が奇跡のようでしょうか!。もしそのような事でしたら、大きな教えになるでしょう。しかし、福音書は、これを奇跡として記録します。そのようなものだったからです。

 

      個人的に言いますと、私は奇跡を信じます。全能の神は奇跡をおこす事が出来ます。もしイエス様は全能の神でしたら、イエス様は奇跡をおこす事が出来ます。その最初の奇跡とは、人間の赤ちゃんとして生まれ、飼い葉おけに寝かされた事です。全能の神であるので、彼の死には、世の罪を赦す全能の力があります。全能の神は無限です。最初がなく終わりがなく、永遠です。それで、十字架上の犠牲は、聖金曜日の前に犯した罪をも、その後に犯した罪をも赦します。ですから、私達の今日の罪も赦します。

       聖書の中で、イエス様は多くの奇跡を行いました。今も私達の為に奇跡を行い続けます。私達の祈りに答えます。主の祈りを祈る時、今日の必要なパンを下さいます。パン五つと魚二匹だけではなくて、毎日生きる為にすべての必要な物です:食べ物、着物、友人、良い天気、など等。

      どうしてイエス様は私達を食べさせるでしょうか。それは、私達を憐れんで下さるからです。今日の福音書の日課は言います、マタイ14:14、「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。」イエス様のいとこの洗礼者ヨハネがヘロデ王に殺された後なので、イエス様は悲しいでしょう。このように書かれています。14:13、「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり 人里離れた所に退shirizoかれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。」人々も悲しみました。それでイエス様の所に行きました。イエス様はその悲しみと寂しさを見ました。彼らを憐れみました。彼らの病気の人を癒したり、慰めと希望を与えました。

      その憐みを、群衆を食べさせる奇跡の中にも見えます。このように読みます14:15、「夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』」その群衆は1万人に近いと思いますので、その小さい村には食べ物が足りないと思います。イエス様の憐みはその問題の解決を知りました。16イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 17弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」

しかし、それで十分でした。「19群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。 20すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。 21食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。」イエス様はその人々を愛しましたので、食べさせました。それで皆は元気になって夕方までに家に無事に歩いて帰る事が出来ました。

 

      神様は人々を憐れみます。人々が罪を犯しても、反抗しても、不信仰であっても、神様は彼らを憐れみます。アダムとエバもでした。その二人を殺すよりも、動物の皮で出来た服を与えました。それが、彼らの恥をかくしました、赦しのしるしでした。すべての人間を殺さないで、ノアに箱舟を作るように命令しました。アブラハムとダビデを選んで、ご自分との契約を結びました。イスラエル人が罪を犯しても、彼らをエジプトの奴隷状態から導き出しました。又、バビロンでの捕囚からエルサレムに帰らせました。そして、愛と憐みをもって、ヨハネ3:16、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と書かれています

      聖書の中には、イエス様は多くの人々を憐れみました。今日も、私達をも憐れんで下さいます。それを覚えて、お祝いします。使徒信条の言葉で信仰告白をしますし、主の祈りを祈りますし、自分の洗礼を覚えますし、讃美歌を歌いますし、聖餐式を受けます。

      ガラリや湖のほとりでの5千人以上は、その日にイエス様からパンを受けました。その時から、何億万の人々は、パンと葡萄酒、即ちイエス様の体と血を聖餐式で受けます。この時、イエス様の無限と永遠の愛と憐みを受けます。罪の赦しと永遠の命です。

      アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会