「御子を与えてくださった神の愛」  ヨハネ3: 16

         ヨハネ 3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

        この聖句は、聖書の中の一番有名なものの一つです。「クルミのカラの中の福音」、つまり、福音の要約です。小さな信仰告白、使徒信条のようです。私達の信仰です。神様は私達を愛して救って下さいます。ヨハネ3:16はキリスト信者達に愛されている聖句です。何故ならば、神様の愛と私達の永遠の命と救いを私達は確認します。多くのキリスト信者はこの聖句を暗記しています。私達の神が私達を愛しているという自信を与えます。又、勇気をも与えます。即ち、私達の人生の状態が何であれ、神様は私達を愛するからです。神様が私個人を愛しますし、実はこの世をも愛します。その愛はそんなに広いです。無限の愛です。私のようなものでも、あなたのような者でも、自分の隣人でも、いや、自分の敵でさえも愛します!ヨハネ3:16は、私は喜びます。そして、イエス様が私を愛しますので、自分がキリスト信者である事にプライドをもちます。神様は私の事や、創造物のすべての事の世話をしますので、プライドをもちます。神様は素晴らしいです!

        先週もう一度ヨハネ3:16を読みますと、今度目立った言葉は、「お与えになった」と言う言葉でした。以前、その意味は「送った」と思いました。即ち、仕事をする為に天国から地上に送った事です。その意味が正しいですが、「お与えになった」と言う言葉は、さらに深い意味を与えます、即ち、神様は私達にプレゼント、ギフト、贈り物を与えた事です。それで、この箇所の「信じる」事は、そのギフトを受け取る事です。それで、私達の為に、救いが受けやすいです。私達は何もしないで、イエス様が全部して下さる事です。苦しみを受けて十字架上で死ぬのは、彼です。3日目に復活するのは、彼です。聖霊を送るのは、彼です。私達がする必要な事は、ただそのギフトを受け取る事です、真実であると信じる事です。

        聖パウロの手紙の中の大きなテーマの一つは、救いがギフトである事です。今日の使徒書で、アブラハムの例をあげます。神様はアブラハムに、民を作る為に、カナンの地方を与えました。アブラハムは神様を信じて、そのギフトを受け取って、自分の生まれた故郷から新しい約束の地に移りました。

        今日の旧約聖書の日課から読みます。創世記12:1-4a。

第1朗読 創世記 12: 1~4a(旧15) 

『1 主はアブラムに言われた。

「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。

2わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。

3あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

4アブラムは、主の言葉に従って旅立った。』

        それで、今日の使徒書で、聖パウロは言います。ローマ4: 1~5&13~17(新278)

『1では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。 2もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。 3聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。 4ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。 5しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。6 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、[ 次のように]たたえています。』

        ルーテル教会の中では、この事をよく話します、特に宗教改革主日の時です。4つのルーテル教会のテーマを話します:恵みのみ、信仰のみ、キリストのみ、み言葉のみです。このテーマの全部をヨハネ3:16に見つけられます。

 ヨハネ 3:16 「神は、その独り子(キリスト)をお与えになったほどに(恵み)、世を愛された。独り子を信じる者(信仰)が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである(聖書のメッセージ)。」

        私達への神様の贈りものとは、ご自分の愛です。

       神様は二つの愛に引っ張られていました。先ず、神様はこの世を愛します。あなたと私を愛します。私達人間は父親の愛が分かります。子供が悪い事をしても、父親は自分の子供を愛し続ける事が出来ます。父親の目的とは、自分の子供達を育てる事です。それで、その子供が親の愛を返して、又家族の皆を愛する事です。この世は神様の家族です。私達を愛して下さいます。

しかし、この世を愛する愛と御自分の愛する独り子に対する愛に引っ張られていました。勿論、父なる神様の御計画通りに、イエス様が3日目に甦りました。しかし、そのお墓の中にいる間がつらいと思います。十字上でイエス様は叫びました、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と。子供が父親にこのよう言うでしょう、「お父さん、あなたの独りの息子である僕より、その罪深い人々を愛するのですか?」ここで、イエス様の心の苦しみと神様の悲しみを見えるでしょう。

       しかし、神様はこの世をイエス様より愛しませんで、イエス様と同じように愛して下さいました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」と。その愛で、イエス様を三日目に死人のうちより甦らせました。この同じ愛で、世の最後の時、私達をも甦らせます。滅びないで、永遠の命を得るためです。

        聖霊が私達を新しく生まれさせますと、私達は神様の愛を見ます。その愛を見る時、私達には永遠の命があります。イエス様が自分のすくい主であると分かって、信じます。私達の罪を赦す為にイエス様が十字架上で死んで下さったと信じます。

私と一緒に、ヨハネ3:16を言いましょう。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

        アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師

沖縄ルーテル教会