ペトロの人生は、私達の人生の模範

       ペロとの本当の名前は、ヨハネ1:42にこのように教えます:「イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われました。“岩”と言う言葉は、ギリシャ語で“ペトロ”で、ヘブライ語で“ケファー”で、英語で“ロックRock”です。新約聖書の中で、“ペトロ”でも、“ケファー”とも呼ばれています。ペトロはイエス様がメシアであると言う信仰告白の上に、ご自分の教会を建てるとイエスは言われました。

       ペトロが住んでいた町は、ベテサイダとカぺナウムでした。両方は、ガラリアの海の北西の地域でした。ペトロは魚を採る漁師でした。結婚していました。妻の母は彼らと一緒に住んでいました。ある時、イエス様はペテロの姑の熱を癒しました。ある聖書学者は、マルコによる福音書を書いたマルコがペトロの息子だと考えています。第一コリント9:5で、宣教の旅に出かけた時、ペトロの妻と一緒だったみたいです。その働きに役に立つでしょう。

       ペトロの兄弟はアンデレでした。アンデレはバプテスマのヨハネの弟子でした。ヨルダン川で洗礼を受けられた時、アンデレがイエス様と出会いました。アンデレは兄弟ペトロにイエスさまの事を話して、イエス様と会う為にペトロを連れて行きました。(参考:ヨハネ1:42.)

       その後、ご自分の弟子になるように、漁師のペトロとアンデレを呼びました。言われました、マルコ1:17、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と。二人はイエス様と一緒に旅をして、神の国について学びました。それで、この対話があります。マルコ8:2729.

       【8:27 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。28 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」29 そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」】

       そして、次に、イエスさは、メシアの働きを説明しました。それは、苦しみを受けて、十字架上で死んで、3日目に復活する事です。しかし、ペトロはそれを理解する事が出来ませんでした。それで、この対話があります、マルコ8:32-33.

       【8:32 しかも、[イエス]そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」】

       ゲッセマネの園でイエス様が逮捕された時、ペトロは神のことを思わず、人間のことを思っていたので、刀でイエス様を守ろうと思いましたが、ただ、ある人の耳を切り落とした事だけでした(ルカ22:50)。ペトロは岩でしたが、ある時、彼の信仰は砂のようでした。イエス様が裁かれた時、3回もイエス様を知らないと言って、イエス様を否定しました。

       しかし、甦られた主イエス・キリストと出会った後に、彼の信仰は固い岩のようになりました。ペンテコステの日,だいたんに福音を延べ伝えました。 イエス様は、弟子達を全世界に福音を延べ伝えるように遣わしました。最後に、ペトロはローマまでに行きまして、そこで福音を延べ伝えて、殉教者として殺されました。そして、彼の信仰告白の岩の上に、即ち、「あなたは、メシアである」と言う信仰告白の上に、キリストは教会を建てまして、私達の教会をも建てて下さいました。

        いろいろの点では、私達がペトロのようです。誰かが私達をイエス様に紹介しました、兄弟か友達か、教会学校に自分を連れていってくれた親でしょうか。自分の職業を捨てなくても、その仕事の中でキリストに従います。人間を採る漁師ではないでしょうが、人間を教える教師、人間や教会を建てる大工さん、人を癒したり手伝ったり守ったりする者、農家、など。キリストである岩の上に建てます。

       もう一つの点では、ほとんどのキリスト信者はペトロのようになるのです。それは、私達も石の頭です:頑固gankoです、信仰から離れないし移りません。大体、これは祝福ですが、呪いのように見える時もあります。この世界が私達の信仰を攻撃する時、石のように私達がしっかり立ちます。使徒言行録の中で、ペトロが3回ぐらい牢rōに入れられましたが、信仰を失わないで祈り続けました。同じように、私達も、危ない時、病気の時、うつの時、神様が私達と共にいると知っています、どんな場合にも私達と共にいます。ある時、聖パウロは、聖ペトロの考えを直さなければなりませんでした。それは、ペトロは、頑固で、異邦人もモーセの律法を守らなければならないと思ったからです。私達も頑固で、自分の誤りを見えません。私も頑固で、ある意味、石の頭です。教会の中で、頑固で私が問題を起こした事があるでしょう。でもある時、頑固は忠実さの現れです。それで、私は50年間、日本で働き続ける事が出来ました。ペトロは、献身の意味を私に教えました。

       ペトロは、赦しの意味をも私に教えました。キリスト教の美術やアイコンには、聖ペトロがカギを持っています。それは、マタイ16:19に基づいています。

       【16:17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。19 わたしはあなたに天の国の鍵を授sazuける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」】

       このカギは天国の門を開けます。罪の束縛を解けるカギです。赦しのカギです。ペトロは3回イエス様を否定しましたが、イエス様は3回ペトロを赦しました。3回も「私の羊を飼いなさい」と言われました。羊には、福音に食べさせられる必要があります。福音のメッセージとは、私達の罪を赦す為に、イエス様が死んで復活した事です。それこそは、キリスト教の固い土台です。赦しは一回7回何回も与えられます。赦されているので、他の人を赦す事ができ、キリスト信者達として、キリスト信者達がする事全てが出来ます。ペトロのようになる事が出来ます。

       アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師、  沖縄ルーテル教会