救われた者の集め
福音書
24: 36「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。 37人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。 38洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。 39そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。 40そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 41二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。 42だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。 43このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。 44だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
待降節第一主日です。キリストの降臨、来られる事を待つ季節です。クリスマスに来られるキリスト、世の終わりに来られるキリスト、私達の心と人生に今現在来られるキリストです。
今日の福音書の日課に、イエス様はキリストの再臨・再び来られる事について話します。その日、その時は、だれも知りませんので、人々は、いつものように毎日をすごします。「人々は食べたり飲んだり、めとったりとついだりします」(マタイ24:38)。今日生きる為に、パンを作る為に臼をひきます。将来の計画をもって、畑に種をまきます。ノアの時代から、これは人々のいつもの生き方です。ノアの話は、裁きについても、救いについてもの話です。箱舟の中に、ノアは動物の種類2匹ずつを集めました。しかし、イエス様は言われます、「洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである 」(24:39)。今度、箱舟の代わりに、「人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」(24:31)。
いつそれが起こるでしょうか?私達には分かりません。それは神の知恵です。イエス様は言われました、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである」(24:36)。今日かも知れません。明日かも知れません。私達がしぬ後かも知れません。多分、私達の為に、キリストの再臨は、私達が死んだ後、死者の復活の日になるでしょう。それで、私達は食べたり飲んだり働いたり遊んだり将来を計画したりします。
イエス様は言われました、「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである」(42)又、「だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」(44)。そのように言われたので、初代教会の多くのキリスト信者達が、自分達の生きているうちにキリストが再び来るだろうと期待しました。聖パウロの多くの手紙の中では、それを見ます。例えば、今日の使徒書の日課です。ローマ13:11-14。
第2朗読 ローマ13:11~14 (新293)
「更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、私達が信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。 夜は更fuけ、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、 主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用mochiいてはなりません。
言い換えますと、聖パウロが私達に言うのは、ただ、良いキリスト信者のように生きなさい。
ある時、キリストが早く来るように願います、今日でも良いと思う時があります。それは、人生の問題が襲って来る時、心配、ストレスなどがある時、主からの解放と救いの為に祈ります。「主よ、お願いします!御国が早く来ますように」と。しかし、そのような時にも、信仰によって祈ります、「日々の糧を、今日も与えて下さい」と。何故ならば、主が私達と共にいると分かるからです。インマヌエル。それで、待降節に、賛美歌9番 「来たりませみ子よ」と歌います。私達の地上の心配と問題とストレスのただ中、主が今、私達と共に来られるように祈ります。
ノアは、動物を救う為に、箱舟の中に動物を集めました。
- 天使は、選ばれた人たちを四方から呼び集めます。
- 聖霊は、救う為に私達を呼び集めます。
最後に、マルチン・ルターの小教理問答書のきれいな言葉で終わりたいと思います。使徒信条第3条とその意味です。聖霊の働きです。
第三条 聖化について
われは聖霊を信ず。また聖なるキリスト教会・聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、限りなきいのちを信ず。アーメン。
問 これはどんな意味ですか?
答 私は、自分の理性や能力によっては、私の主イエス・キリストを信じることも、みもとに来ることも出来ないことを信じます。けれども聖霊が、福音によって私を召し、その賜物をもって私を照らし、まことの信仰のうちに私をきよめ、支えてくださることを信じます。それは聖霊が、この地上のすべてのキリスト教会を召し集め、照らし、きよめ、そして、イエス・キリストにある、まことの唯一の信仰のうちに支えられるのと同じです。キリストの教会において聖霊は、私とすべての信仰者の日ごとのすべての罪を豊かにゆるし、そして終わりの日に、私とすべての死者をよみがえらせ、キリストを信じるすべての者とともに、私に永遠のいのちを与えてくださいます。
これはたしかに、本当のことです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会