第一テモテ1:15  “キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた”

         新約聖書には、私の聖書では、約200頁があります。そのうち、150頁は、聖パウロの手紙です。それは新約聖書の3/4です。そして、使徒言行録の25頁のうち、16頁は、聖パウロの話と旅です。3/5, 60% です。それで、私の計算で、新約聖書の83%は聖パウロの手紙と歴史です。手紙は13で、9つは教会へのもの、4つは個人の人とその人の教会に送りました。

       今日と次の5つの日曜日の使徒書の日課は、テモテへの第一と第二の手紙です。それで、今日、皆さんにテモテを紹介したいと思います。又、その手紙がテモテの教会の為でしたので、どのように私達の教会の為でもあるか話したいと思います。

       聖パウロは、3回ほどの宣教旅行をしました。現代のトルコ、ギリシャ、とイタリアです。リストラと言う町で、青年テモテと出会いました(使徒16:1)。テモテの父は異教のギリシャ人でしたが、祖母ロイスと母エウニケは信仰深いユダヤ人でした(第2テモテ1:5)。確かに、少年テモテに聖書の物語:ダビデとゴリアテ、ダニエルなどを教えました。又、聖書の詩篇と祈りを教えたでしょう。それで、テモテには強い信仰がありました。彼はパウロと共に、宣教の旅に出かけました。

        数年後、ローマの皇帝の前で福音を証しする為に、パウロはローマに送られました。2年間ローマに住みました。その2年後開放されました。ギリシャにいる時、パウロはテモテをエペソの教会に送りました。同時にテトスをクレタの島の教会に送りました。そして、パウロはテモテにもテトスにも、似ている手紙を送りました。彼らの宣教の働きを励ましました。又、その教会を勇気ずけ、強めようと思いました。

       テモテへの第2の手紙は、パウロが再びローマにいる時です。今度は皇帝ネロの時です。AD64年にローマの大火事がありました。キリスト信者達がその火事に火を付けたと言う理由で、多くのキリスト信者が逮捕され、殉教者になりました。その一人はパウロでした。

        今日、私達に与えられた使徒書の日課はテモテへの第一の手紙の第一章です。きれいな挨拶の後には、3つのトッピクがあります。うその教え、罪、とその罪人を救う神の哀れみです。

        先ず、このように書き巻いた、「1:4 作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないようにと。このような作り話や系図は、信仰による神の救いの計画の実現よりも、むしろ無意味な詮索を引き起こします。」それで、その人達は信仰とキリスト信者の生き方を教えませんした。パウロは、自分の教えについてこのように書きました、「1:5わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指すものです。」その悪い教えは何であったか、聖書の学者達によく分かりませんが、教会の歴史の中では、人々はいつも作り話と空しい空想を言います。例えば、500年まえは煉獄と免罪符。100年前は、けいきょと千年王国の説。エホバ証人、モルモン、キリスト教の愛国、黙示録のような災いの恐れ。本当のキリスト信者達は、神の哀れみと恵みの純粋・明確な福音から迷わされます。

        その人達は「律法の教師」(1:7)になりたいと思いますが、律法や律法の目的を知りません。聖パウロが言うのは、律法は恵みによって義とされた信者達の為ではありません。律法の目的とは、罪人の罪を非難して、宣告する為です。そして、パウロは10種類ぐらいの罪をリストアップします。

        (1:8~11を読みます。)「しかし、わたしたちは、律法は正しく用いるならば良いものであることを知っています。9 すなわち、次のことを知って用いれば良いものです。律法は、正しい者のために与えられているのではなく、不法な者や不従順な者、不信心な者や罪を犯す者、神を畏れぬ者や俗悪な者、父を殺す者や母を殺す者、人を殺す者、10 みだらな行いをする者、男色をする者、誘拐する者、偽りを言う者、偽証する者のために与えられ、そのほか、健全な教えに反することがあれば、そのために与えられているのです。11 今述べたことは、祝福に満ちた神の栄光の福音に一致しており、わたしはその福音をゆだねられています。」

       律法について話す時2つの反対の立場があるらしい:厳しい方とゆるい方です。例えば、初代教会の時、多くの人々が教えたのは、キリスト信者達もユダヤ教のモーセの律法を守らなければならい事です。例えば、豚肉を食べない事、安息日に働かない事、割礼の事など。反対の教えとは、神様は私達を赦して下さるので、モーセの律法とイエス様の福音を無視しても良いと。間違った教えや教理の問題とは、罪に行かせるからです。ですから、教会は正しい教理を強調します。教会会員を支配する為ではありません。又、正しく考えて、正しく信じたら天国に行ける事を教えません。「律法は正しく用いる(1:8)」事とは、罪人を罪に宣告する為です。我々クリスチャンが、律法と福音の教理を知る時、自分が神の目では、私達が罪人であると知ります。

聖パウロは自分の罪を知っていました。人殺し、みだらな行い、又偽りよりもひどい罪でした。13節でこのように言います、「以前、私は神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。」どうしてパウロのふるまいが殺人よりひどいかと言いますと、キリストの哀れみと赦しを受けようと思わないからです。パウロは、キリスト信者を逮捕して、裁判を受ける為にエルサレムに連れて行きました。そしてある日、ダマスコに行く途中、天からのまぶしい光がありました。その光の中からキリストがパウロに言われました、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と(使徒9:4)。その時から、パウロは宣教師になりました。神の恵み、哀れみと赦しを広く伝えました。パウロの証を聞いて下さい、第一テモテ1:12~17。

        「12 わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。13 以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。14 そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。15 「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。16 しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずその私に限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。17 永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」

        15節は純粋な福音です。「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値ataiします。わたしは、その罪人の中で最saiたる者です。もし聖パウロのような罪人がキリスト・イエスの哀れみを受ける事が出来ましたら、私もできます。あなたも出来ます。私は自分の罪を知っています。しかし、私にも神様の限りない忍耐をお示しになりました(1:16)。この信仰が私に永遠の命を下さいました。ハレルヤ!(1:17)。

        もし神様の哀れみがパウロと私を赦す事が出来ましたら、神様は悔い改めてイエス・キリストの福音を信じる人、だれでも赦す事が出来ます。先の9節に宣告された人をも救う事が出来ます。

 先週、この事を思い出されたのは、フェイスブックの牧師の友達のポストでした。私のフェイスブックの友達のうちには、政治的に右の人も、左の人もいます。私の友達はいつもとってもアンタイトラムプです。しかし彼の最近のポストが、聖パウロの改心を思い出させます。神の哀れみと力です。

 『トランプは天国に行く良いチャンスがあります。神の恵みは、それほど大きいからです。パウロは、自分が最低な罪人だと思いました。神の恵みは、それほど大きいからです。イエス様は赦す。イエス様は真実を言われる。』

        私の友達は言いました、イエス様は赦します。神の恵みがすごく大きいです。敵を愛する事が出来るほどの力です。もし神の哀れみが聖パウロや私をも赦す事が出来ましたら、悔い改めてイエス・キリストの福音を信じる人、だれでも赦す事ができます。

        15節は純粋な福音です。「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。

        アーメン。

                                                                                                                               マイケル・ニアフッド牧師                                                                                                                                                         沖縄ルーテル教会