福音的な簿記 ルカ16: 1~15、1テモテ2: 1~ 7

        イエス様は「不正な管理人」の例えを弟子達に話しました。弟子達が福音の正直な管理人になるようになって欲しいと思いました。賢くて知恵をもった者になる事です。例え話の最後に、このように言われました、「8 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。

        たとえ話で、「この男が主人の財産を無駄使いしている」ので、首になります。その管理人が新しい仕事を得る為に、賢いプランを考えました。会社の計算書を直しました。主人のお客さん達のアカウントの負債を低くしたら、彼らは嬉しくて、後でその管理人を雇います。このように読みます、「5そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 6 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 7 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』」主人は、その事で嬉しくないでしょうが、管理人として、それをする権利がありました。「8主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」のです。誉めても、首にしました。

        今日、全然違う視点からこのたとえ話を見たいと思います。金持ちの主人は神様です。管理人はイエス様です。借りのある者とは私達です。勿論、イエス様は不正ではありませんが、この世界のビズネスは悪くて罪深いです。友達を得る為の賢いブランがイエス様にあります。負債を赦す事です。聖書の中には、「負債」はよく「罪」と意味します。それで、賢いプランとは罪を赦す事です。罪の「油百バトス【1バトスが23リットルで、2300です。】は油50バトスになります。罪の「小麦百コロス【1コロスは230す。石は180・約150㎏】は小麦80コロスになります。私達の負債はイエス様のアカウントに移ります。その負債がなくなるのは、イエス様が十字架上で死ぬ時です。金や銀でではなくて、ご自分の尊い私達の為に流された血によってです。勿論、赦された罪人・私達が感謝をもって、救い主であるイエス様を「自分を家に迎えます」(4節)。しかし、罪の50バトスが残ります。罪の小麦の80コロスが残ります。負債が完全に払い戻していないので、最後の裁きの日に、その罪が残ります。

        それで、やり直しましょう。金持ちの主人は神様です。管理人はイエス様です。借りのある者とは私達です。この世界のビズネスは悪くて罪深いです。イエス様は、それをこのように言われました、「16:14 金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。15 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌iみ嫌われるものだ。」管理人はイエス様です。彼は正直で、賢いプランを持っています。賢くて,この世の古い忌み嫌われたものを上り超えます。新しいプラン、新しい契約で、福音です。それを信じる人々皆にとっては、良い知らせです。罪の負債のただ50%や20%だけではなくて、罪を100%赦して下さいます。私達の罪の負債がイエス様のアカウントに移ります。その負債がなくなるのは、イエス様が十字架上で死ぬ時です。金や銀でではなくて、ご自分の尊い私達の為に流された血によってです。それで、裁きの日に、命の書が開くと、あなたの頁に「支払い済み」と書かれています。

 第2部.1テモテ2: 1~ 7

       聖パウロは、福音の為に正直で信頼できる管理人でした。彼のご主人はイエス・キリストです。異邦人に福音を述べ伝える為に、イエス様はパウロに呼びかけました。招聘しました。テモテへの第一手紙2章で、それをこのように説明しました、「7 私は、その証しの為に宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。私は真実を語っており、偽りは言っていません。」ユダヤ人だけではなくて、「私達の救い主である神。。。4 は、すべての人々が救われて真理を知るようになる事を望んでおられます。」

 宣教の最初の一歩とは、祈りです。それでパウロは書きました:「1 まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々の為にささげなさい。 2 王たちやすべての高官の為にも ささげなさい。私達が常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」

        王たちや他の権威がある人が教会や信者達を迫害する時、社会がみだれている時、平穏で落ち着いた生活を送る事が難しいです。聖パウロの時代、問題とは、彼らが真の神を知らない事です。神の存在を信じても、救いの方法を知りませんでした。助ける為に救い主が必要と知りませんでした。又、天国への道が多いと思って、多くの助け主や仲介者がいると思うでしょう。現代に対して、聖パウロは、同じように言えるでしょう。

       それでパウロは福音を話しました:「私達の救い主である … 4 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになる事を望んでおられます。 5 神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただお一人なのです。 6 この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。」ここで「贖い」と言う言葉の意味とは、「十字架」です。普通に「贖い」とは、人質(ひとじち)にされた人を自由にさせる為に払うお金です。罪の負債があるので、悪魔は私達を人質にして、奴隷にしました。それで、罪を犯すたびに、私達は悪魔の為に働きます。イエス様は私達を悪魔から買い戻しました。贖いの値段は、金や銀ではなくて、イエス様の聖なる尊い血によったのです。私達を自由になる為に、イエス様は死んで下さいました。私達の仲介者になりました。悪魔と人間の間に、又神様と人間の間に立つ者で、私達が自由になる為に働きました。イエス様は、神様の恵みと憐れみの正直で忠実な管理人でした。

       教会の私達が福音の管理人達になりました。光の子らである私達が、正直に働くようにとイエス様は願います。賢くて、知恵をもって、抜け目のないように働くように願います。イエス様の為に働く管理人として、最初の仕事とは、祈りです。聖パウロは書きました:「1 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。 2 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。私達が常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」

 私達の祈りによってそうします。教会にいる時も、自分の家にいる時も、そのように祈ります。

 アーメン。

                                                                                                         マイケル・ニアフッド、牧師
                                                                                                                          沖縄ルーテル教会