プロテスタント宗教改革
1517年10月31日は、ルーテル・プロテスタント宗教改革の正式的な初まりです。その日、マルチン・ルターがドイツ・ウイテンブルグ城教会のドアに、彼の有名な95箇条を張りました。ルターは多くの教会の問題に抗議kōgiしました。95箇条の中の中心的な問題点とは、罪の赦しでした。免罪符のように、赦しを買ったり売ったりする事が出来るでしょうか。誰に罪を赦す権利があるでしょうか。天国に行く為に、何が必要でしょうか。
プロテスタントと言う言葉の意味とは「プロテストをする事」即ち、「抗議する事」です。「改革」が欲しいと思いました。ルターはローマにいる教会に抗議し、カルビンはルターを抗議し、他の人はカルビンを抗議し、イギリス王はローマの法王hōōを抗議し、ウェスレーはイギリスの教会を抗議し、などなど等、今はキリスト教会の宗派の数が1000以上です。皆は何かをチェンジして、改革が欲しいと思います。今日は、キリスト教会の歴史の講義の話しをしません。しかし、あなたと私が現代の教会の歴史の一部です。私達の教会の宗派や私達の地域教会の改革の必要について話しません。かえて、私達の個人的な心、思い、と人生の中の抗議と改革の必要について話したいと思います。又、治したくない部分にも話したいと思います。
キリスト信者として、私達は、自分個人が犯す罪を抗議します。自分が罪を犯すと分かります、そして、その事が嫌いです。しかし、罪を犯し続けます。自分をチャンジしたい、改革したいと思います。自分の癖、自分の性格、自分の振る舞いです。やってみたのですが失敗でした。自分の人間性を抗議します。新年の約束をたてましたが、三日ぼうずでした。問題は、実は、個人の改革が欲しくないのかも知れません。自分のある罪が好きです、楽しいからです。ですから、チェンジする事に反対で、抗議します。
イエス様はご自分の公の宣教の働きを初めた時、その最初のメッセージは、 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と(マルコ1:15)。「悔い改める事」は「改革する事」のようです。多くの人々は、福音を信じました、即ちイエス様のメッセージを信じました。その以前、バプテスマのヨハネは同じメッセージを伝えて、多くの人々が洗礼を受けました。しかし、多くの人々、ファラサイ派の人やサドカイ派の人のように、イエス様のメッセージに反対しました。福音がいらないと思いまいした。モーセの律法があったからです。その律法を変える事が出来なかったので、宗教改革が必要ないと思いました。律法に従っていたので、悔い改める必要がないと思いました。それで、イエス様のメッセージを非難して、抗議しました。
1517年10月31日に、マルチン・ルターは、彼の有名な95箇条を張りました。第一はこれです: 「私達の主であるイエス・キリストが、「悔い改めよ」と言われた時、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである。」
私達が悔い改める為に、自分の宗教改革を助ける為に、信仰生活を治す勇気を与える為に、今日、律法と福音について話したいと思います。宗教改革時代の4つの有名な言葉を使いたいと思います。即ち、信仰のみSola Fide、恵みのみSola Gratia、キリストのみSolus Christus、聖書のみSola Scripturaです 。
信仰のみSola Fide
その反対は、「信仰プラス業」です、又、「業のみ」です。もし「業のみ」でしたら、あなたがキリスト信者であるかどうかかまわないで、もしあなたが良い人でしたら、天国に行く事が出来ます。この事は人気があります。キリスト信者ではない日本人もそう思います。しかし、キリスト信者はそれを信じません。私達が信じるのは、自分の救い主としてイエス様を信じる事が必要です。又、救いの働きが全部、100%が、十字架上のイエス・キリストによるのです。私達の業が私達を救う事が出来ません。しかし、救われているので、感謝と愛の為に、キリストに喜ばしい人生を送りたいと思います。それで、プレシャーがないので、聖霊の助けによって、自分の人生を改革しようと思います。
恵みのみSola Gratia
神の恵みは哀れみです。罪人を憐れみます。世界の人間を滅ぼさないで、ヨハネ3:16です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」恵みは愛です。恵みは神様から自由に与えられた贈り物です。私達を救う為に、神様には義務がありません。私達の良い技の為に何かを与えません。反対に、神の恵みは、私達の悪い業を赦します。それで、私達の個人的な宗教改革が易yasaしくなります。赦されました、その悪い所をなおさないで、ただそれを投げ捨てる事が出来ます。それで、新しくはやり始める事が出来ます。それこそは、洗礼です。罪が洗い落とされるので、きれいになります。赤ちゃんとして洗礼をうけても、今も、三位一体神の素晴らしい祝福によって、まだ練れているようです。それは、神様のバプテスマの約束です。それは、神の恵みです。
キリストのみSolus Christus
聖ペトロは言いました、使徒言行緑4:21 「ほかのだれによっても、救いは得られません。私達が救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」と。その聖なる名前が十字架に書かれていました:「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」
(ヨハネ9:19)。イエス・キリストが十字架上で、私達の救い主としてあわされています。教会の教えが複雑で多いですが、ただ一つの事のみが分かれば、十分です。罪を赦す為に、あなたの罪と私の罪を赦す為に、イエス様が十字架上で死んで3日目に復活した事です。それは、キリストのみによる救いです。
- 聖書のみSola Scriptura
世界中には、多くの良い教えがあります。道徳、正義、化学も教えます。しかし、神の事を知りたいと思いましたら、創造物を見ないで、創造主を見てください。聖書の中で、創造主がご自分についての事を見ましょう。聖書の律法の中にも福音の中にも啓示されています。律法は、ご自分の民に対する愛と感心です。平和と調和の内に活きるためです。福音は、その反抗的な民と世界の罪人への神様の愛と感心です。それで、聖書のみは、人生の唯一の導きになります。聖書だけが、人生の誠の自由と幸せのカギになります。イエス様は言われました、ヨハネ8:31-36、「31イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。32あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」
33すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」34イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。35奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。36だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。」
プロテスタント宗教改革: 反対する抗議と改革です。両方が必要です。主なる神様に感謝します。聖霊を送りましたので、福音を述べ伝えられています。即ち、私達が、聖書のみによって、キリストのみによって、信仰のみによって、神の恵みのみによって救われています。それで、神様だけに栄光を称えます (Soli Deo Gloria)。
アーメン。
マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会