私達の中、何人も、自分の生まれ育った故郷から引っ越しています。私達の中、何人も、故郷と違う町や国に住んだ経験があります。旅行は、人をチェンジさせます。しかし、故郷がチェンジするでしょうか。引っ越しや休みの時、故郷に帰りましたら、その故郷は以前と同じでしょうか。
自分の町に帰って、もしその古里の人々があなたを受け入れなければ、どうでしょうか。イエス様には、そのような経験がありました。 今日の福音書 (マルコ6:4) で、イエス様は、「預言者が敬(うやま)われないのは、自分の故郷(ふるさと)、親戚(しんせき)や家族の間だけである」と言われた。 預言者、又牧師や神父は、普通に、皆に尊敬(そんけい)されていますが、自分の家族や自分の民がその預言者を受け入れません。 それなのにイエス様はご自分の家族やご自分の故郷の人々に福音を述べ伝えなければなりませんでした。それは彼に与えられたミッションでした。即ち、すべての人に良い知らせを伝えるためです。旧約聖書の預言者エゼキエルにも同じミッションがありました。 自分の民、イスラエルに神の御言葉を述べ伝えるように、主なる神様によって送りだされました。
その時、エゼキエルとイスラエルの人々は、奴隷としてエルサレムから連れられて、バビロニアにいました。主なる神様に対する罪の為の罰でした。しかし主はエゼキエルに警告(けいこく)しました。その人々が反抗的(はんこうてき)で、石頭(いしあたま)で、頑固(がんこ)な人です。その民がエゼキエルの言葉を聞かないだろうと警告しました。 それなのに、その神様の御言葉を聞かなくても、それを述べ伝えなければなりませんでした。
エゼキエルでしても、イエス様でしても、現代の説教者でも、私達でしても、預言者としては何を話すべきでしょうか。 その話すべき神様の御言葉は何でしょうか。エゼキエルが最初に語った言葉はイエス様の言葉に似ていて、それは私達の最初の言葉でもあります。イエス様の最初の公の言葉はマルコ1:15です。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。
エゼキエルが、バビロンの捕囚(ほしゅう)となっている自分の国の民、イスラエル人の所に送られました。イエス様は約束の地に戻って住むイスラエル人の所に送られました。 私達も、自分の家族に、又、自分の国の人に、このグローバルな世界的な家族に送られています。 私達のメッセージも同じです。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と。 言い換えますと、まず私達は神様の存在を述べ伝え、そして神様の愛、神様が私達を助ける為に私達の近くにおられる事、そして神様が私達の人生を導く事を述べ伝えます。私達は御国の良い国民として、すべての道徳(どうとく)、倫理(りんり)、霊的(れいてき)な良い(よ)業(わざ)を要求されます。悔い改めとは、自分の失敗(しっぱい)を認(み)めて、自分の人生を変えたいと思う事です。そして福音を信じる事とは、赦しと清めの力において、新しい人生を送る力です。
先週、7月4日の独立記念日、アメリカ人は自分の国を愛する事、愛国心についてよく話しました。 現在の日本人は、その理想についてあんまり話しませんが、日本中どこに行っても、人々には自分の県や自分の古里に対するプライドがあります。沖縄の人はこの島を愛します。自分の国を愛する事が大切です。イエス様は「隣人を愛しなさい」と言われました。それに含(ふく)まれているのは、隣人がいる自分の国や町を愛して奉仕(ほうし)する事です。自分が預言者ではなくても、自分の国や社会の中には悔い改める必要性があると見ます。私達の愛する故郷や国は完全ではありません。その罪をリストアップする必要があるでしょうか。 例えば、暴力、欲張り、強盗、殺人、性的暴力、酒酔い運転、自己中心的な行動、いろいろの差別などなど。 私達の国や故郷の人々には悔い改めて変わる必要があります。ですから私達は、彼らに対する神様の声になる必要があります。道徳的、倫理的、そして霊的な模範(もはん)の為の声です。誠実さ、正直と自由と正義の為の声です。
聖書が教えるのは、神様はこの世を愛して下さったので、御自分の一人の子を送られたと言うことです。ヨハネ3:16「3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」イエス様は罪に対する裁きを、御自分の国の人達に話しました。しかし聞く耳のある人、即ち聞こうと思った人には、神様の愛も話しました。そしてイエス様に起こった事に、その罪の結果を見ます。十字架上で殺されました。又、イエス様は悔い改めと信仰の結果も見ます:3日目に甦りました。
聖書が教えるのは、イエス様が弟子達を全世界に送られたほど、この世を愛して下さったのです。彼等はイエス様が語られたと同じ、簡単なメッセージを述べ伝えました。マルコ6:12-13が言います、「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」 神の国は今の時代の国々にも来ました。王国にも、民主主義の国にも、独裁者(どくさいしゃ)のいる国にも来ました。
私達もその悔い改めと信仰への言葉を聞きました。イエス様の死と復活によって自分の罪が赦されていると知っています。 神の国が私達の心に来ました。ですから、私達はこの世の国々の為に祈ります。祈りましょう: 世界平和のために祈ります。 愛とお互いの理解の為に祈ります。正義の為に祈ります。 経済や政治上や社会的な安定の為にも祈ります。この世の人々が、誠の人生の平和の源を知るように祈ります。即ちイエス様の愛を知るように祈ります。アーメン。このように祈る時、その時、私達はただの社会的な改革者よりも、預言者になります。これは隣人に対する本当の愛です。
アーメン。
マイケル・ニアフッド
沖縄ルーテル教会牧師