福音書  マルコ10:2~16 (新81)

10:2ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。 3イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。 4彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。 5イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。 6しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。 7それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、 8二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 9従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 10家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。 11イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。 12夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

13イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 14しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 15はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 16そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

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            今日の福音書の日課に、ファリサイ派の人々が、イエスを試そうとしました。わなをかけるように、質問をしました。「夫が妻を離縁することは、律法に適kanaっているでしょうか」と。実は、彼らがモーセの律法をよく知っているので、質問を聞く前にも答えを知りました。ですからイエス様は彼らに聞きました、「「モーセはあなたたちに何と命じたか」と。 4彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と答えました。離縁状とは、法的な書類でした。男の人をも女の人をも守りました。モーセは、離婚が良いと言いませんが、離婚が起これば、社会の中で、秩序を守る掟です。同じように、例えば、他の人の物を盗む事が良くないが、盗めば、どうすれば良いかと言う律法があります。出エジプト記22:7、「もし、その盗人が見つかれば、盗人は二倍にして償わねばならない。」イエス様は、モーセの律法の必要性をこのように説明しました、「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」と。硬い、がんこな、自己的な、罪深い心は、結婚の中の愛を殺します。離婚の理由が沢山あるでしょうが、すべてが何かの罪の為です。二人が一緒に住んで殺し合うよりも、離縁か別々に生活をする方が、たまに良い方でしょう。

            イエス様は離婚が好きではありません。言われました、「6 天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。 7それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、 8二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 9 従って、神が結び合あわせてくださったものを、人は離hanaしてはならない。

            マタイによる福音書5:31で、イエス様は例外を許します。5:31 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。32 しかし、私は言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通kantsuuの罪を犯okaさせることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」それで、イエス様にとって、モーセの律法に従って法的に離婚があっても、離婚の跡の再婚が姦通みたいです。神様の目で、二人がまだ結婚しているからみたいです。

            律法主義なファリサイ派の人々は離婚について聞きました。現代の律法主義者もイエス様にいろいろ聞きます。結婚と離婚と再婚、ゲイの結婚、結婚しないで一緒に住む事、親一人の家族、子供の援助、一人の人の寂しさ、お金がない貧困hinkon、などの社会問題です。一方では、その質問は人を捌(さば)きます。そのような人が悪いので、自分の人生からその人を切り捨てます。他方では、愛と関心から来る質問です。そのような人の生活を、どのように手伝って守る事が出来るでしょうかと。モーセの知恵を覚えれば良いでしょうか。イエス様はモーセの律法の必要性をこのように説明しました、「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ」と。神様の哀れみを覚えれば良いでしょうか。創世記2:18、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」と。

テキスト ボックス: 1 + 1 = 1
1人 + 1人 = 1
1÷2=0
1÷2=1/2 - 1/2
1÷2= ½ + ½
1 ♡ 1 = 1
1 V 1 = 1
僕Vキリスト=1
僕VキリストV君=1
            イエス様は言われました、「8二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 9従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」この数学方式のようでしょう、1人 + 1人 = 1。イエス様はこの方式を認めません、1÷2=0。離婚はいつもこのようです、1÷2=1/2 - 1/2。素晴らしいクリスチャンの結婚の場合、このように書かなければなりません、1 1 = 1。尚更に、このようです、1 V 1 = 1。その二人はキリストに結ばれています。キリスト プラス 僕 プラス 君は、完全な一致(1)です。それで、結婚は二人の人だけの事ではありません。キリストと共にいます。実は、キリストだけではありません。教会の結婚式の時、その二人の家族や友達が彼らの為に祈ります。その後にも多くの人々はその二人を助けます。

            福音とは、私達と共にいる為に、イエス様はこの世に来られました。キリストの生涯、死と復活によって、私達の生涯、死と復活がイエス様と結ばれています。それは信仰と恵みと洗礼とキリストの約束の力です。「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」僕とキリストは1です。僕 V キリスト =1。アダムは一人ではいませんでした。私達も一人ではいません。イエス様は弟子達も一人ではいないと言われました。彼らに聖霊を送るように言われました。同じように、聖霊によって、私達皆が教会の中で結ばれています。

         これがクリスチャン・フォークソングに歌われています。ルーテル教会讃美歌439

♪みな みたまによりて、ひとつ、

みんな 主イエスによりて、ひとつ、

みんな ひとつになるよう、いのる。♪。  

ファリサイ派の人々が、イエスを試そうとしました。他の人を裁きたいと思いました。それで、ほかの人々から自分たちを離したいと思いました。イエス様は来られます。哀れみと愛を持って、私達皆を結んで守ります。私達が他の人を裁こうとされている時、キリストの哀れみと愛を覚えて、キリストと同じようにしましょう。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師

沖縄ルーテル教会