「ルーテル教会」は、歴史ある正統派キリスト教会で、その名称は、ドイツの宗教改革者マルティン・ルターの名前に由来しています。16世紀初め、ルターは、聖書が真実に人間に語りかけようとしている「福音」を教会に取り戻そうと、「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」という3つの基本原則を掲げ、教会の改革に取り組みました。
当時の教会は、それまで「救いとは、人間の努力や良い行いによって得られる」と主張し、人々に重荷を負わせることに専心し、ついには金銭で救いを売るほどまでに堕落していました。(免罪符の販売)
しかし、ルターは、救いは、神の無条件の愛によって、信じる者すべてに与えられる神の恵みであり、それはイエス・キリストの十字架と復活によってもたらされたと説き、以降、多くの人々がルターに賛同し、多くのプロテスタント教会が生まれました。
宗教改革まで、聖書はラテン語と決まっており、多くの庶民は聖書を持つことはおろか、読むことさえできませんでした。そこでルターは、どんな人でも聖書が読めるようにと、聖書を原語(へブル語・ギリシャ語)から母国語であるドイツ語に翻訳しました。また、人々が歌いやすいような讃美歌を数多くつくりました。そのようにしてルターは、物心両面でイエス・キリストの福音を人々に分かりやすく、また身近なものとしたのです。
ルーテル教会は、ルターの流れを汲むキリスト教会として、福音を伝えながら、ドイツから北欧に、そして北欧からアメリカへ、やがては全世界へと広がり、現在、全世界で約7000万人の会員数を数えます。
日本では、今から約100年前に、アメリカからの宣教師によって最初のルーテル教会が生まれました。(日本福音ルーテル教会)。そして約50年前に新たにアメリカ、ノルウェー、フィンランド、ドイツなどから宣教師が来日して、新たなルーテル教会系の教団が誕生しました。(日本ルーテル教団、近畿福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会、フェローシップ・ディコンリー,ルーテル福音キリスト教会)日本には、約272のルーテル教会が存在しています.
(※近畿福音ルーテル教会のウェブサイトより引用させていただきました。)
日本におけるルーテル教会の活動
日本におけるルーテル教会の活動は他のプロテスタント諸教派より30年ほど遅く,1893(明治26)年,佐賀で最初の礼拝が持たれた日を出発点としている.それは,アメリカ南部一致ルーテル教会の外国伝道部が1888年に日本伝道を決議,シェーラーを宣教師として派遣したことから始まる.1898年には3番目の宣教師ウィンテル(ヴィンテル)が来日したが,彼はデンマークの宣教団体から派遣され,佐賀伝道に協力した.戦前のルーテル教会は,少数のフィンランドの宣教師を除き,主としてアメリカのルーテル教会より派遣された宣教師によって形成されたが,その中で,小さなデンマーク・ミッションに支えられたウィンテルは異色の存在であった.彼は足かけ72年の生涯を日本宣教にささげ,95歳まで元気で神戸ルーテル聖書学院及び神学校教授として活躍し,1970年召天,神戸の再度(ふたたび)山に葬られている.ルーテル教会の宣教地は九州を基盤とし,その後徐々に東京,京都,神戸などにも教会を建てていったが,第2次世界大戦が終るまで,おもな勢力範囲は九州に置かれた.教会成長も遅く,宣教開始後約30年の1929(昭和4)年にやっと久留米教会が自給するという有様であった.
第2次世界大戦が始まる1940年頃に教会数約40,信徒数5千人に達したが,戦争中のキリスト教会への圧迫や,空襲による教会の焼失,牧師の召集などによって壊滅状態に陥った.1946(昭和21)年の統計によると教会数30,信徒数わずか1300名,礼拝出席者数600名に激減している.戦後になると,従来の北米を主としたルーテル教会以外に,特に中国で伝道していた北米系などの宣教団体が伝道に加わり,幾つかの新しいルーテル教会を生み出した.
いろいろな経過を経て,現在,日本ではおもに7つのルーテル教会が存在する.
1.戦前からの日本福音ルーテル教会(教会数140,信徒数2万1000),
2.アメリカのミズリー派を母体とする日本ルーテル教団(教会数34,信徒数3千),
3.北欧系のミッションを母体とする西日本福音ルーテル教会(教会数30,信徒数2700),
4.同じく北欧系の近畿福音ルーテル教会(教会数30,信徒数2400),
5.アメリカの北欧系移住民によるルーテル同胞教会を母体とする日本ルーテル同胞教団(教会数23,信徒数1100),
6.ドイツのマールブルク・ミッションを母体とするフェローシップ・ディコンリー福音教団(教会数9,信徒数500),
7. 保守派のルーテル福音ルーテル教会(教会数 6)
最初の四つの教会は,共同事業として日本ルーテル・アワーと聖文舎を経営している.また,東京に日本ルーテル神学大学,神戸には神戸ルーテル神学校があり,それぞれ教職の養成に当っているが,神戸ルーテル神学校は福音主義に立って,超教派的に神学生を受け入れている.この神学校はアジア神学大学院日本校の加盟校でもある.そして隣接の神戸ルーテル聖書学院は,北欧の流れを汲む信徒教育の学校である.
<復> ここで領域的,民族的色彩の濃いルーテル教会とルターとのかかわりを見てみることにしよう.<復> もともと,ルター(1483—1546年)が1517年に免罪符に抗議して95箇条の提題をヴィッテンベルクの城教会の扉に貼り付けた時には,ローマ・カトリック教会から離れた別の教会をつくるつもりは全くなかった.ましてや自分の名前の付く教会づくりなど夢にも考えなかったのである.しかし1521年にヴォルムスの国会で,皇帝カール5世や列席する諸侯の前で,自分は聖書のことばと良心に縛られていると告白し,帝国追放刑に処せられてから,彼の立場を支持するドイツ諸侯たちにより,カトリック教会から離れた教会形成を目指さざるを得なくなった.1525年の農民戦争は,彼の立場をドイツ諸侯と,その体制下にある教会の側へ決定的に追いやることになった.そして,1530年にアウグスブルクで開かれた国会においてメランヒトンによって起草されたアウグスブルク信仰告白に署名したザクセン選帝侯はじめ9名の領域にある教会は,以後ローマ・カトリック教会と完全にたもとを分ち,ルター派の教会と呼ばれることになる