2029.3.29 ゴルゴタ山にあった十字架

マタイによる福音書26章と27章

マタイ 27: 38,  「折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。」

ゴルゴタ山にあった十字架

       多くの宗教的な絵が、十字架上のイエス様を描きます。その絵の中に、多くはゴルゴダの山の上に3本の十字架を描きます。真ん中の十字架にはイエス様がいます。左右には2人の強盗がいます。

      その強盗はだれでしょうか。代表的に言いますと、私とあなたです。これはとっても大切です。ローマ人への手紙はこう教えます、6章5節、「もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」罪を赦す為にイエス様は死にました、それで私達の罪を赦す為に死んで下さいました。私達はキリストの死と一体になるので、私達一人一人の為に一本ずつの十字架があるはずだと言います。

      洗礼者ヨハネは言いました、ヨハネ3:29、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」世の罪の場合、ゴルゴダ山の上に、すべての罪人の為に一本ずつの十字架があるはずです。何故ならば、皆の罪を赦すためです。しかし、ゴルゴダ山は狭くて、そのすべての十字架を立てる場所がありません、何億何億何億の十字架になるからです。しかし、イエス様は全能の無限の神の子であるので、ご自分の上にそのすべての罪を取る事が出来ます。それで、世の罪を赦す為に、必要なのは、一本の十字架だけです。

      しかし、イエス様は2000年も前に死にましたが、私達は今・今日生きています。2026年に犯す私達の罪をどのようにご自分の物にする事が出来るでしょうか。それは、イエス様が全能の無限の神の子であると同じように、同時に永遠の神であるからです。永遠であるので、時と時間に制限されていません。一番最初の人間の罪人に手を伸ばしたり、私達よりもはるかに遠い未来までの罪人にも手を伸ばしたりする事が出来ます。

      今日、私達の所に手を伸ばします。み言葉と聖礼典において私達に来られます。十字架上でいけにえとなった彼の尊い体と血は、今日私達の罪を赦します。

     今日は棕梠(しゅろ)の主日です。イエス様がエルサレムに入場した時、私達はキリストを歓迎した群衆と共に、このように賛美します:

「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光、天地にみつ。

天にはホサナ。主のみ名によって、こられるかたをたたえよ。天にはホサナ。」

 

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師

沖縄ルーテル教会

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