9.26 義人の祈りは、大いに力があり

義人の祈りは、大いに力があり   2021年㋈26日

ヤコブ5:13*20
5:13 あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。5:14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御吊によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。5:16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。5:17 エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。5:18 それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。
5:19 わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち、真理の道から踏み迷う者があり、だれかが彼を引きもどすなら、5:20 かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。

1. 聖ヤコブの手紙は、すべてのクリスチャンが読む為の公の手紙です。ヤコブはこの手紙を読む人々が、全て洗礼を受けたキリスト信者で、私達を救う為に十字架上で死んで3日目に甦られた、キリストの福音を信じて知る事です。聖ヤコブはすべてのクリスチャンがこの信仰によって、喜びと忠実と愛と平和を持って生きるようにと願います。しかしクリスチャンはこの世の中に住む人間です。ですからクリスチャンでも、病気になって悩みを持って、誘惑に陥って罪を犯す事があります。ここでの問題とは、どのように人生がよくなるかでしょう。

2. 今日のテーマは祈りです。一番良い祈りの方法とは何でしょうか。ヤコブの手紙を読みますと、気をつけなければ間違った印象を与えます。即ち、祈りのやり方によって効果があると言う誤解です。又、そのよくなる方法とは自分自身の力やその方法による事です。例えば、決まっている儀式をすれば祈りがよくなるそうです。第一に祈る事、第二に教会の長老たちを招く事、第三にオリブ油を注ぐ事などです。これらの事をしましたら神様は私達の祈りをかなえて下さるという事です。手を組んで、ひざまづいて、断食して、十字を切って、病気の人の手を取ったり、その人の上に手を置いたりして、楽観的な信仰を持ち、等などです。ちゃんと、正しくすれば、病気がよくなり、人生もよくなります。人が病気になったら私達はよく、このように言うでしょう、「私はあなたの為に祈ります《と。勿論悩んでる人の為に祈るべきですが、なんとなく魔術のように聞こえます。自分の力でする事のように聞こえます。なにか順番正しくする方式をすれば、神様があなたの言う通りにする事のようです。自分の手の中には力があるようです。

3. 祈りは何と力強い物でしょうか。旧約聖書の預言者エリヤの例です。「5:17 エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。5:18 それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。《ヤコブは言います、5:16「義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。《どうして祈りは力強いでしょうか。私達の信頼はどこに置かれているでしょうか。何に置かれているでしょうか。どなたに置かれているでしょうか。自分自身に確信がありますか。もし自分が義人でしたら、神様は義務的に義人である自分の祈りをかなえなければならないでしょうか。ある人はほかの人より良い人であるので、その人々の祈りの方が良いので、神様は彼らの祈りの方を大事にして答えるでしょうか。人々は言います。「私は祈りを信じます。《しかし、これは間違っている信仰の告白です。洗濯機が洋朊をきれいにすると信じます。祈る時、祈りはただの道具のように、素晴らしい家庭用の器具か道具のように考えますか。この世の中で自分が欲しい物を得る為に、神様や宗教をその道具のように考えますか。

4. 信仰の力は、その信仰の対象によってです。お金を信頼したら、自分の銀行の口座によって、クレジット・カードによってです。カルトの宗教や異教の信仰の強さは、その宗教のウソの強さによってです。神様の考え方によりますと、キリスト以外の、ほかのものに信仰を置けば、それは間違っている信仰です。科学者達の研究によりますと、祈りにはーー異教の祈りであってもーー人を癒す事に効果があるそうです。多くの人はしばらく良くなりますが最後に魂は死にます。

5. ですから福音が教えるのは、私達を癒したり救ったりするのは、私達の祈る事ではなくて、私達の祈りの対象であるイエス・キリストによってです。ヤコブはこのように書きました「義人の祈りは、大いに力があり《。問題とは、私達皆が罪人であるので義人がいません。いや本当に完全に正しい人は一人だけです。即ちイエス・キリストです。そして、この義人であるキリストの祈りには力があります。ゲツセマネの園での祈りには力がありました。マルコ14:36 「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の思いではなく、みこころのままになさってください《。《そして、十字架上でご自分を十字架につけた人々の為に祈った時、その日にイエス様はご自分を十字架につけた人の為に祈りました、ルカ23:34「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。《この祈りは私達をも救います。その赦しの祈りは、その時ご自分を十字架につけた人々の為にも、現在にも罪によってイエス様を十字架に付ける私達の為にも祈りました。 このイエス様の祈りは私達を赦して癒します。何故ならば聖書の「癒し《と言う言葉が「救い《とも翻訳する事も出来るので力強い言葉です。

6. 聖霊は私達を真の信仰へ導いて下さいます。聖霊は私達を偽の神々から私達を引いて真の神様を信じるようにと導いて下さいます。その偽の神々とは、私達が自分の力に頼る事ですし、自分がどんなに一生懸命に祈る事にも頼りますし、「祈りの力《と言う表現に頼る事です。即ち、自分や自分の力に頼り信頼する事は偽の神です。しかし自分の力を信頼するよりも、ヤコブはこのように言います、16節、「互に罪を告白し合い《なさい。自分が罪人であると告白する時、信頼をキリストの上に置き直します。もう「私は祈りを信じる《と言わないで、むしろ「私はイエス・キリストを信じる《と言います。

7. ヤコブは書きました、15節、「信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それも赦される。《ここで分かるのは、この祈りの土台とはキリストを信頼する事ですので、その祈りの結果とは癒しと救いです。私達の罪がイエス・キリストによって赦されているので、力がある祈りをする義人とは私達です。この確信があるので、私達の目が開かれていて、私達の祈りに必要とする人々を見る事が出来ます。私たちが見るのは病気の人、悩んでいる人、苦しんでいる人、又、福音の真理から迷い出した人です。その人を見て、私達は同情と憐れみを感じて上安を感じますが、神様の素晴らしい癒しと救いを広げたいと思います。ですから私達は祈ります。そして、このような信仰があるので、義人の祈りの方法は変わります。私達は神様話しますが、同時に神様の代わりに話します。友達に言います。「私はあなたの為に神様に祈ります《と言います。そして確信を持って、大胆に、神様の代わりに話します。イエス・キリストの御吊によって祈って話します。断言します:「兄弟よ、姉妹よ、あなたの信仰があなたを癒しました。救いました。《確かに祈りには力がありますが、その力とは、十字架上に死んで三日目に甦られた救い主にあります。

アーメン。

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