9.12 信じます。信仰のないわたしをお助けください
マルコ9:14*29
9:14 一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。9:15 群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。
9:16 イエスが、「何を議論しているのか《とお尋ねになると、9:17 群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。9:18 霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。《9:19 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。《
9:20 人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。9:21 イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか《とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。9:22 霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。《9:23 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。《9:24 その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。《9:25 イエスは、群衆が走り寄って来るのを見ると、汚れた霊をお叱りになった。「ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この子から出て行け。二度とこの子の中に入るな。《9:26 すると、霊は叫び声をあげ、ひどく引きつけさせて出て行った。その子は死んだようになったので、多くの者が、「死んでしまった《と言った。9:27 しかし、イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。9:28 イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか《と尋ねた。9:29 イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ《と言われた。
「信じます。信仰のないわたしをお助けください。《この言葉を祈った事がありますか。私にはあります。多くのキリスト信者はこの言葉を祈りました。私達には救いの信仰があります。神様を信じます。救い主としてイエス様を信じます。しかし、自分の弱さを知ります。信者として生きる為に神様の助けが必要です。心配や人生の問題が私達に直面する時、神様の愛と力を確認したいと思います。必要なのは、祈りの力と神様が本当に自分を助ける事が出来る確信です。
私達は今日の福音書の日課の男の人のようです。息子には悪霊がありました.弟子達は彼を癒す事が出来ませんでした。イエス様が戻って来た時、お父さんに新しい希望が湧き出しましたが、弟子達が癒す事が出来なければ、イエス様も息子を癒す事が出来ないかと思いました。それで言いました。「おできになるなら、私どもを憐れんでお助け下さい。《9:23 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。《9:24 その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のない私をお助けください。《
私達がそのお父さんのようになる時があります。失敗ばかりの時、多くの事をやっても出来ない時、最後にイエス様に祈ります。しかし、私達がやった事が全部ダメでしたら、イエス様でしても私達の問題を解決する事が出来るかと疑います。私達が弱いので、イエス様も弱いと感じます。「おできになるなら、《「『できれば!』《イエス様の次のを聞かなければなりません。「信じる者には何でもできる。《
どうしてすべてが可能でしょうか。それは、働く者が私達ではないからです。イエス様です。信仰が山を動かす事が出来るのは、イエス様にその働きを任せる時です。
祈りは大切です。男の子を癒した後に,弟子達はひそかにイエス様に聞きました。「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか《と尋ねた。9:29 イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出す事はできないのだ《と言われた。
私達人間には出来ない事があります。神様しか出来ない事があります。それは祈りの力です。祈りはマジックの言葉ではありません。祈りの力とは、神様が働く事です。ですから、祈りには結果があります。
お父さんは言いました、「お出来になるなら、私どもを憐れんでお助け下さい。《私が思い出したのは,ゲツセマネの園で祈るイエス様です。その時から、イエス様が逮捕され、裁かれ、ムチに打たれ、十字上で殺されました。マルコ14章です。
14:32 一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい《と言われた。14:33 そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、14:34 彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。《14:35 少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、14:36 こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。《
「おできになるなら、《「『できれば!』《「御心に適うなら。《息子の為に祈ったお父さんのように、イエス様はご自分の為に祈ります。イエス様は父なる神様の力を疑いますか。人間的に言うと、これから来る痛みと恥と拷問の悲しみが分かります。イエス様の祈りは自然です。私達の祈りのようです。「信じます。信仰のない私をお助けください。《イエス様は父なる神様を信頼しますが、この苦しい時に助けを願います。彼の信仰や信頼の為の助けがあったので、次のように祈る事が出来ました、「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。《苦しみで溢れる杯を敵の前で飲みました。信頼と力と愛と赦しと救いで溢れて、3日目に復活の命で溢れました。
私達が「信じます。信仰のない私をお助けください。《と言う時、本当の信仰の祈りです。そのように祈る事が出来る人は、信者だけです。信仰の為に祈る為には、信仰が必要からです。「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。《とも信者の祈りです。あきらめるように聞こえるかも知れませんが、実は、ものごとを神様にゆだねる事です。神様を信頼する事です。自分や自分の祈りの相手の為に、神様の御心が一番よいと信頼するからです。このように祈れば、神様が私達の信仰を助けてくださった証拠です。
最後に、祈りの文法のメモです。祈りは命令形です。主の祈りで、イエス様は「プリーズ、お願いします《と教えませんでした。
日ごとのかてをきょうも与えたまえ、
悪より救い出したまえ、
み国を来らせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
子供がものを頼む事のように、私達の天の父なる神様は、私達にとって一番良いものを 下さると知ります。神様が約束したものだからです。私達の信仰を助ける聖霊を下さるように約束しました。永遠の命を下さるように約束しました。
アーメン。