205.12.7 クリスマスでの四本の木”又“最初のクリスマス・ツリーであるりキリスト

 “クリスマスでの四本の木”又“最初のクリスマス・ツリーであるりキリスト”

 マタイ3:10

斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。

イザヤ11:1

「エッサイの株(かぶ)からひとつの芽(め)が萌(も)えいで/

その根(ね)からひとつの若枝(わかえだ)が育(そだ)ち」

         クリスマスが近寄って、四本の木について話したいと思います。

 第1の木。

        先ず、クリスマス・ツリーについて話しましょう。クリスマスの飾りとして、マルティン・ルターの時代から使われています。冬には、多くの木や花や植物が眠っていますが、松の木やモミの木は緑で覆われていてきれいです。ルダーはクリスマスの木を、エデンの園の命の木のように考えました。クリスマス・ツリーの電気の光、又ルターが使ったロウソクの光は、イエス様が生まれた夜に、ベツレヘムの野原で歌っていた天使達を表します。木のてっぺんの星は、生まれた王様を拝む為に来た博士達を導いた星です。ある飾りには意味がありますが、他の飾りはただのきれいな物です。  

          第2の木。

        バプテスマのヨハネは、イスラエルの人々の信仰と宗教は、腐っている果物を結ぶ木のようであるので、神様はその木を切り倒して破壊すると言いました。

マタイ3:10、「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」

 

        ヨハネは、私達にも同じように説教するでしょう。私達にとっての警告になります。クリスマス・ツリーのように、私達は自分の人生を綺麗なオーナメントと輝く飾り物のようなもので、自分の罪と寂しさと失望を隠したいと思います。そのような木を、切り倒して火に投げ込む時は来ました。

         しかし、ヨハネには、希望のメッセージもありました。メシアが来ます。聖霊も来ます。バプテスマは人々を清めて、救います。


第3の木。

        イザヤは、神様の預言者でした。彼はイスラエルの破壊をも、神様の民の復活をも見ました。イスラエルをもう既に切り倒された木に例えました。

言いました、イザヤ11:1、「エッサイの株(かぶ)からひとつの芽(め)meが萌(も)moえいで/その根(ね)からひとつの若枝(わかえだ)が育(そだ)ち」と。

エッサイと言う人は、ダビデ王の父だったので、イスラエルの王国の将来の復活を予言しました。その国の滅びの理由とは、イスラエルの悪や不信仰の為でした。 バビロンによってその罰をイスラエルに行います。しかし、神様は御自分のアブラハムとダビデへの約束を忘れません: それは土地の約束と夜の星の数のような子孫の約束でした。

        イザヤはは言います、「エッサイの株(かぶ)からひとつの芽(め)が萌(も)えいでる」と。 「株」とは、切り倒した木の地面に残された幹(みき)の部分です。その木の根が残っているので、その株には生命が残っています。それで、その株から新しい芽が出て、新しい木が、切り倒した木の代わりに生えて来ます。これはイザヤの話です。この木とは「エッサイ」です。エッサイとはダビデ王の父の名前です。バビロニアの捕囚(ほしゅう)の時、イスラエルの民がバビロニアに奴隷として連れて行かれたとき、ダビデの王国が滅びました。切り倒されました。しかし、イザヤが予言したのは、ダビデ王の子孫の一人が、イスラエルの中で新しい王として現れる事です。

 

        この新しい王とはイエス・キリストです。マタイの福音書がはっきり言うのは、イエス様がダビデ王の子孫であるヨセフの妻マリアによって生まれた事です。又、クリスマスの天使が羊飼い達に告げたのは、イエス様がダビデ王の町のベツレヘムで生まれた事です。

 イエス様はエッサイの株の芽です。この意味ではイエス様御自身は木です、最初のクリスマス・ツリーでした。

  

        第4の木。

しかし、普通に、イエス様を別の木との関係を考えます。それは十字架の木です。しかし、きれいな飾りのように、イエス様がその十字架の木につけられないで、ひどい乱暴と憎しみによって、その木につけられました。世のすべての憎しみと罪が彼の上に掛けられたのです。光よりも闇がありました。木の上に輝く星はありませんでしたが、一つの書き札がありました、「これはユダヤ人の王ナザレのイエスだ」と。それで正式的には、この十字架の木こそがエッサイの株の芽でした。この木の命が切り倒されました。 しかし3日目に新しい枝のように甦りました。そして、新しい命を持つ芽のように、その木には実がありました。即ち、平和、愛、赦しと永遠の救いです。

         それでクリスマスに、クリスマス・ツリーは大切だと思います。に対して尊敬が私にはあります。イエス様の十字架を思い起こすので、その飾りと電気の光の下には、私達の罪と恥をも思い起こします。しかし、その緑の枝は、イエス様の復活とイエス様による新しい命をも思い起こします。ですから、キリストによる信仰によって私達の罪が隠されています。その木もイエス様も暗い12月に光を与えます。 エッサイの枝として神様の約束を思い出して、そして、その約束の成就は,イエス様である事を思い出します。これは十字架の木を指し、復活の新しい命をも指し、エデンの園の命の木をも指します。クリスマスのツリーの星と電気と飾りには、色々の意味と思い出がありますが、私達のメチャメチャの人生と政界の中に、この木は希望のしるしですので、平和と喜びと恵みと主イエス・キリストの愛を私たちに与えます。

         アーメン。

         ローマ15:13 どうか、“希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。.”

        アーメン。

 

マイケル・ニアフッド牧師

沖縄ルーテル教会

 

 

 

 

 

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